「キリストの体の不思議」(2018年6月3日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

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こんな寓話を聞いた事があります。

あるとき動物たちが学校をつくりました。

動物たちで話し合いカリキュラムを決めます。

かけっこ、木登り、水泳、飛行という科目をつくって、その全ての科目を受講することにしたのです。

アヒルは水泳が得意でしたが、かけっこができなかったので、放課後残ってまでかけっこの練習をしました。

その努力のおかげで、彼の足の水かきがひどく傷つき、得意だったはずの水泳までがおそくなってしまいました。

さてウサギは、かけっこではクラスでいちばんでしたが、水泳が出来ず、無理やり頑張って泳いだので、足の筋肉を使いすぎて、得意だったはずのかけっこまで遅くなってしまいました・・・。

たわいのないお話のようですけれども、この寓話が物語っている教訓は大切です。

神様によってデザインされた私たちは、それぞれに違い、それぞれに違った賜物、能力、そして情熱が与えられていて、その賜物と情熱にしたがって働くときに、与えられた本当の力を発揮できるのではないでしょうか。

パウロは教会をキリストの体に譬えて言います。「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。

足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。

耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。

もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。

そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。」(1コリント12:14:18)

一人一人が、神様に造られたその人らしくいてもよく、だれもお互いを否定せず、変えようとせず、尊敬しあい、それゆえに互いに互いを必要とする関係。

同じ聖霊をいただいている集まりの奇跡。

これすなわち「教会」です。

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