「洗足と十字架」(2018年3月25日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

 

今日から受難週が始まります。

今日の主日礼拝のなかで読まれる箇所は、ヨハネの福音書13章にある、主イエスが弟子の足を洗われた「洗足」の出来事です。

 13章1節はこうはじまります。
「・・過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」

さて「過越祭」とは、その昔イスラエルの民に臨むはずの裁きから、民が救われるために、子羊を屠り、その血がイスラエルの民の家の門口に塗られることで、イスラエルの民への裁きが過ぎこされたという故事を記念し、祝うイスラエルの祭りです。

そしてヨハネの福音書は、主イエスのことを「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)と理解し、この世を救うための神の過ぎ越しの子羊として、主イエスは十字架に死なれるのだと告げるのです。

ですからこの過越祭の前の日に行われた「洗足」も、弟子たちや私たちを愛し抜こうとされる、十字架への道を意味しています。主イエスはへりくだられ、当時奴隷の仕事であった足を洗うという行為を、弟子たちになさったのです。

パウロはそのことを、こう表現します。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分の無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」フィリピ2:6-8

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