「主の霊と信教の自由」(2016年2月14日 週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

昨日のアイリカ・クリシャール ソプラノコンサートには、教会員の方が知り合いを誘って沢山参加してくださり、またご近所の方がコンサートの看板を見て、入ってこられるなど、急に決まったコンサートでしたが、そのすべてが人の思いや計画を越えて、自由に働く主の霊に導かれた出来事であったと、感謝しています。

さて、今日の礼拝は「信教の自由を守る日」礼拝として捧げます。

教会、またクリスチャン一人ひとり、それぞれに政治に対する意見を持っています。信仰が同じでも、必ずしも同じ政治的主張とは限りません。政治と宗教の扱う領域が違うからです。ゆえに、政治が宗教の領域に口出しをする振る舞いには、強く批判しなければなりませんし、反対に、宗教の側も政治の領域にのめりこむことは慎まなければなりません。どちらも自由を奪う振る舞いです。パウロは「主の霊のおられるところに自由があります」と言いました。人の思いではなく、「主の霊」による自由が、政治や宗教、その他、あらゆる領域の上にありますように。

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