「仏壇は偶像か」(2018年1月28日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

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クリスチャンは天地を造られた「神」を神としますから、「偶像」を拝むことはしません。では「仏壇」はどうでしょうか。「偶像」として取り除くべきでしょうか。

 

大多数の日本人にとって、「仏壇」は信仰の対象でも、信仰心の表現でもなく、家族を繋ぐ象徴でしかない、というのがわたしの考えです。

 

しかし外国の宣教師の方々が日本で宣教を始めたとき、どこの日本の家庭にもおいてある「仏壇」や「位牌」を信仰の対象だと思い、

 

仏壇のまえで手を合わせるのは「先祖崇拝」であると理解して、仏壇を「偶像」とみなして、クリスチャンになったら家庭から取りのけるよう指導した時代もあったようです。

 

家族全員が納得してそうできるならいいことです。しかし、家族の理解が得られず、家族との間に不要な軋轢が生じて、かえって福音から家族を遠ざけることになってしまうなら、とても残念なことです。

 

クリスチャンではない多くの方々にとって「仏壇」というものは、そこに「偶像の神」がいると本気で信じて拝むような「信仰の対象」などではなく、今は亡き愛する家族を想い、また家族親戚のつながりを確認するための「装置」でしかないのです。

 

現代の「本物の偶像」は、それとはわからないように巧みに洗練されています。

その人にとって「それがなければ生きられない」と依存させている「なにか」。

それこそが「本物の偶像」です。

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