「召天とは」(2017年10月22日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

今日は召天者記念礼拝です。

さて「青虫」が生きている世界は、地面を這いつくばり、葉っぱを食べる世界。「青虫」は、目の前の葉っぱを食べ続ける命を生きています。

 

しかし時が来て「青虫」はやがて「さなぎ」のなかでしばし眠り、やがて神の時がきたなら、「蝶」という「新しい体」をまといます。

そして、それまで想像もできなかった「空」という、全く新しい世界へと羽ばたいていくのです。そのためにこそ「青虫」は地面で葉っぱを食べつづけてきたのです。

 

人の地上の人生は、ある意味この「青虫」のよう。

「死」は、少しの間「さなぎ」のように眠ることであり、

やがて神の時が満ちたとき、まったく新しい「復活の体」に変えられて、

神が新しくしてくださる天地へと、「蝶」のように舞いあがる。

 

それが新約聖書の伝えている希望であり、「召天」という言葉が意味している全容です。

 

「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」1テサロニケ4:14

関連記事

  1. 口で平和というだけですか

  2. 「いつまでも渇くことがない水」(2018年5月13日週報巻頭…

  3. 「お返しのできない人へ」(2019年11月24日週報巻頭言 …

  4. 「召されたところで」(2017年8月20日 週報巻頭言 牧師…

  5. 神の約束に立つ祈り

  6. 来たるべきAI時代にもとめられるもの