「御言葉が実るために」(2016年7月24日 週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

現代はインターネットで瞬時に情報にアクセスできる時代。わたしたちは自分で実行できることよりはるかに多くの情報を日々消費しています。ともすると聖書の御言葉やメッセージも、消費するだけの情報になりやすい情報過多の時代です。

さて、私たちの教会では

・日曜の「教会学校」「夕礼拝」水曜昼の「聖書の学びと祈り」は「聖書教育」から

・日曜の「主日礼拝」と水曜夜の「聖書の学びと祈り」はルカの福音書から

御言葉に聞いています。一週間に5つの集会があっても、読まれる聖書の御言葉は5か所ではなく2か所に絞られています。

それは、同じ御言葉やメッセージが何度も反芻され、その人の血となり肉となり、行動や生き方において御言葉の命が実ることこそ幸いなのだ、と信じるからです。

「いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず

 主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。

 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」詩編1:1-3

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