「足だけではなく、手も頭も」(2019年3月24日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

 

今、主イエスの十字架への歩みを覚えて過ごす「受難節」の時期を過ごしています。

今日の礼拝で読まれるヨハネ13章は、過越祭の前の日の夜の出来事。主イエスは「神の小羊」(ヨハネ1:29,36)として、全ての罪人の罪を引き受け十字架へと向かう時が来たことを悟り 「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれ」ます。その至極の愛を、弟子たちに体験的に記憶させようと、主イエスが弟子たちの足を洗い始めた出来事が、いわゆる「洗足」です。

当時の習慣として、主人が外出先から帰ると、その家のしもべが水を用意し、埃まみれの主人の足を洗いました。主イエスはそれを逆転させ、主であるイエスが、弟子たちの足を洗い始めるのです。

ペトロは驚き、「わたしの足など決して洗わないでください」といいました。当然です。主イエスがその行動によって示されている「至極の愛」の姿は、あまりに意外です。ところが主イエスは言われます。「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と。ペトロは慌てて言いました。「主よ、足だけではなく、手も頭も」 ・・・彼は、よくわからず口走ったのでしょう。正確な知識、信仰理解、神学も大切。でも、わけも分からず、ひたすら主イエスとの関わりを求めるペトロを、イエスは愛し抜いてくださいます。

 

さらに、「主であり師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」と主イエスは命じます。それは神の愛は、互いの汚れた足を洗う現場においてこそ、体験できるからでしょう。

「わたしの足など決して洗わないでください」「迷惑をかけるな」「自己責任だろ」

そんな言葉が飛び交う現代。神と人、人と人とを切り離す「言葉」ではなく、むしろ互いをつなげる「言葉」を語り、そのように生きることで神の愛を証し、体験する歩みへと、

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