「 祈ること自体が救い 」(2017年9月9日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

(「祈り」左近豊(キリスト教出版局)より)

『祈りは、私たちの生き方そのものだと言ってよいでしょう・・・・

長崎に原爆が投下された時、爆心地に近い浦上第一病院で医院長をしていた秋月辰一郎という医師がおられます。1945年8月9日以降、家も家族も失って重傷を負った人たちが次々に病院跡地に逃げ延びてきた・・・。焼け残った木陰に避難してきた人たちが迎えた夜、8月の灼熱の太陽が沈んだ暗闇が覆う中で、体中やけどで覆われて痛みと渇きに苦しむ人たちのうめき声があちこちに聞こえてくるとともに、どこからともなく「祈りの声」が聞こえてきた。

「めでたし聖寵充ち満てるマリア・・・今も臨終のときも祈りたまえ」

「ああ、イエズスよ、われらの罪を赦したまえ。われらを地獄の火より守りたまえ」

「われらの罪を犯すものを我らが赦す如く、われらの罪をも赦したまえ」

そう祈る声が、そこここから聞こえてきた、というのです。長い夜が明けて朝日があたりを照らす頃、ほとんどの人が亡くなっていた、とのことです。

死に際して、地上で最後の息を祈りと共に引き取ったことを知ったこの医師は、圧倒されます・・・。祈りで病気が治るというようなことではなくて、「祈ること自体が救いだ」ということを深く知るのです。祈りながら息を引き取っていった、この人たちの祈りに導かれるようにして、秋月医師は、のちにバプテスマを受けていきます。』

わたしたちは、「祈ること自体が救い」であることを、深く心に留めたいのです。

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