「一枚のチラシ」(2016年7月10日礼拝での証)

K.Kさん(花小金井キリスト教会員)

私は1950年(昭和25年)1月に沖縄県美里村字高原(現在の沖縄市高原)に生まれました。高原には戦前より教会があり、幼いころから日曜学校に通っていました。村では教会の敷地内は子どもたちの遊び場であり、日曜学校に行くのは普通のことでした。しかし、小学5年の時、父の転勤で那覇市に移り、それから教会に行くことは無くなりました。

私がクリスチャンになったのは1969年1月26日、19歳になったばかりの時でした。

でも、クリスチャンのなった時は、殆ど聖書を読んでいませんでした。

高校を卒業後、学びの為に、上京して約半年を過ぎようとしていた秋の頃、授業が終わり、いつものように、アパートに帰る途中、京王線の仙川駅を降りた時、1枚のチラシをもらいました。それは、この教会を開拓伝道したアスキュー宣教師が始めた仙川キリスト教会の特別伝道集会の案内でした。教会は自分のアパートから歩いて数分の所に在りました。

チラシを見て、アパートから近いし、たまには教会でも行ってみようと思い出かけました。

特別伝道集会は賛美や説教が有りましたが内容は殆ど覚えていません。

集会の最後に説教者がテモテへの第一の手紙第1章15節

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で

、そのまま受けいれるのに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。」

と述べられ、このことを信じる人は手を挙げてくださいとのお勧めがありました。

ところで、当時、沖縄はアメリカ合衆国の施政下にあり、最高権力者は高等弁務官でアメリカの軍人(中将)でした。そのため、普段は何も変わりませんが、米国人による事件が起こると、問題を起こした米国人は沖縄から去り、それで終わりでした。私は幼いながらも同じ人間なのにこんな不平等なことが許される世の中に納得がいきませんでした。

そんな心の状態の時 “あなたは罪人であり、キリストは罪人を救うためにこの世にきて下さった”という言葉は新鮮で、ひょっとしたら真理があるかも知れない思い私は手を上げました。

それから、聖書を読むようになりましたが、読むたびに分からない箇所がありました。

聖書の中身はあまり、分からないが読んでいればそのうち、分かるようになるでしょうと

気楽な気持ちでバプテスマを受けました。(沖縄人が良く言う“ナンクルナイサー”

“なんとかなるさ”というアバウトな楽天的発想かもしれません)

その後、勉学を終え、就職、結婚、子育てと人生を歩みました。

幸いにも、教会生活は続けられました。その歩みの中、色々な経験を致しました。

小説にでも出てくるような腰を抜かすような経験も多々、有りました。

時間が長くなるので詳細は省きますが自分の家族以外の方のために徹夜で朝まで祈らされたことが2回有りました。この経験で祈りについて考えさせられました。

今年の4月に40年以上続けた仕事を無事に終わりました。現在は妻と子ども3名、孫が4人おります。 バプテスマを受けて47年、人生を振り返って、最近、特に感じるのはクリスチャンになったことは「人生を豊か」にさせて頂いたということです。

自分が期待したような特別なことは起こりませんでした。でも、人生の中で神様やイエス様が共にいて下さることを感じることが多くありました。

礼拝、祈祷会、教会行事、日々の生活の中で多くの方々と出会いました。その歩みの中に神様は共に居て下さり、導いてくださいました。感謝いたします。  

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