「共感と平和」(2017年8月13日 週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

敗戦から72年経ちました。深い悲しみの歴史を風化させず覚え続けていく。それは同じ悲しみを繰り返さないために必要な営みです。今日、わたしたちはこの地の「平和」を願い、平和主日礼拝を捧げます。
人間には、他者の苦しみを自分のことのように「共感」する能力があります。これは「平和」のために必要な心の働きです。
敵対する相手にも、愛する人がいる。家族がある。友人がいる。その人も自分と同じように、人を愛する喜びや、愛する人を失う悲しみや苦しみ感じて生きている。そのことに気付く感性、他者の苦しみに「共感」する感性は実に大切です。

私たちは信じます。全ての人は、天の親である神に愛され、神にあって生まれてきた天の親の子であることを。

たとえ、同じ神に命を与えられた神の子たちを分断し、「敵対」させてしまう「罪」の力が、この世界を覆っていても、

主イエスの十字架の言葉は、人を「罪」から解放し、互いに神に愛されている子として「共感」し合える心を与えて下さることを。

主イエスの言葉によって、神の子へと立ち返った人々に向かって、

主イエスは言われます。

「平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。」マタイによる福音書5章9節

関連記事

  1. 神の約束に立つ祈り

  2. 「グノーシス主義とは」(2019年2月24日週報巻頭言 牧師…

  3. 命の繋がり

  4. 「人は何のために生きるのか」(2018年2月4日週報巻頭言 …

  5. うそではありません

  6. 「洗足と十字架」(2018年3月25日週報巻頭言 牧師 藤井…