「聖霊の宿った人として」(2018年6月17日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

 先日のカンヌ国際映画祭映画祭で、

パルムドール(グランプリ)を受賞した是枝裕和(これえだひろかず)監督の

「万引き家族」をご覧になったでしょうか。

貧困や離婚、虐待などによって、法の枠組みの中では生きづらくされた一人一人が、

アウトローの疑似家族を形成し、

寄り添い助け合うことで、生き抜こうとする姿が描かれた秀作です。

さてアウトローといえば、主イエスの時代、

まさに当時のユダヤの宗教システムによって、「罪人」すなわちアウトローと呼ばれた人々を主イエスは訪ね歩き、

わたしを信じるあなたがたのただなかに神の国はやって来た、

神の御心を行う者たちが、わたしの家族だと説かれたことが思い起こされます。

法というものは、悪を罰し抑制するためにあります。

ひどい事件が起これば、法も重罰化するでしょう。

人が法を守るのは、ただ罰を恐れる消極的な理由からです。

つまり、法さえ守っていればいいという生き方には、

積極的な生き方、人を愛し、共に生きようとする動機も力もないのです。

使徒パウロは、不道徳な生き方をしていたコリントのクリスチャンに告げます。

あなたがたには、主イエスの霊である「聖霊」が宿っているのだと。

だから罰を恐れる消極的な生き方ではなく、

自分の体で神の栄光を現す積極的な生き方をしていく力があるのだと。

(2コリント6:19ー20)

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