2023年3月5日主日礼拝ダイジェスト

「無駄ではない」   藤井 秀一

3月の礼拝では、十字架へと至る道を歩まれる主イエスと、その周りの人々の姿をマタイの福音書の記事を通して読み進めていきます。

さて福音書には主イエスの生涯が記されているわけですが、どの福音書においても、主イエスの最後の一週間の出来事に最も多くのページが割かれています。主イエスの最後の一週間は、昼間はエルサレムで過ごし、夕方になるとエルサレム郊外のベタニア村に宿泊したようです。このベタニア村は、かつて主イエスによって死から生き返ったラザロを始め、ラザロの姉妹マルタ・マリアが住んでいた村です。

今日の礼拝で読まれる箇所は、十字架につけられる数日前、ベタニア村のシモンという人の家に主イエスがおられた時のことです。このシモンは「重い皮膚病(ヘブル語でツァラアト)」であったと書かれています。このツァラアトにかかると、旧約聖書のレビ記によれば、祭司から「汚れている」と言い渡され、「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。」(レビ13:45)とされたのです。しかし、ツァラアトが癒された場合は、祭司に体を見せ「清い」と宣言してもらって、社会復帰することができました。このシモンはおそらく主イエスによってツァラトが癒され、社会復帰し自分の家に戻ってきた人なのでしょう。シモンはイエスさまを家に迎えることで、その感謝を表していたのかもしれません。

同様にある女性がイエスさまへの感謝を現わそうとその場にやって来て、大変高価な香油を主イエスの頭に注ぎかけました。ヨハネの福音書では、この出来事はこう記されています。「マリヤが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった」のだと。その香油は300デナリオン(300日分の賃金)で売ることができる価値あるものであり、周りにいた人々は口をそろえ「なぜこんな無駄をするのか。むしろ貧しい人々に施すべきではないか」と批判します。これは主イエスの愛がなんなのかを知らぬ人間の正論です。主イエスこそ、この香油に勝る価値あるご自身のいのちを、わたしたちのために十字架のうえに捧げようと、歩まれているのです。それが「無駄なこと」であろうはずがありません。

 

 

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