「今はわからなくも」(2020年3月8日 週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

この世界は、今も様々な出来事が起こり続けています。飢餓や様々な疫病や災害、内戦や事故や事件によって、今日も沢山の方々が悲しみ、また亡くなっています。しかし今、メディアを通して伝えられる情報は、あまりに新型コロナウィルスに関することに偏り、情報に触れ続ける私たちの意識までもが「新型コロナ一色」になりがちです。

さらにこのウィルスにはわからないことが多く、ゆえに、これからどうなっていくのか不透明なことも、私たちの意識を「新型コロナ」に縛り付けています。しかし、そのような状況が長く続くことは、「コロナ関連以外の重要な課題について、平常時と同様に取り組む」ための理性や力、心理的な余裕を失わせてしまいます。

3月11日には東日本大震災から9年目を迎えますが、この「コロナ以外の課題」において、多くの人々が苦しみ続けていることを思う、今、心の余裕はあるでしょうか?

インターネットによって、すぐに答えや欲しいものが手に入ることに慣れてしまった現代人にとって、「これからどうなっていくのかわからない」という「未知で、グレーな状態」を耐え続けることは非常なストレス状態であり、そのストレスゆえに、自分らしさを失った言動に走る人も多くなるでしょう。なによりもストレスは「新型コロナ」に対抗する「免疫力」も下げるのです。

さてこのような「先が見えないストレス状態」は、歴史上いくらでもあったことであり、クリスチャンの先達は、まさにその状態の中を「神への信仰」によって乗り越えてきたことを、今こそ心に留めたいのです。

主イエスは弟子の足を洗われたとき、こう言われました。

「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、わかるようになる」

今はわからなくても、なお、主イエスへの信頼によって歩むことを教えられました。

「今、神の愛が実感できなくても、わからなくても、なお、神は愛であることを信じ、信頼する」「今、解決がわからなくても、必ず神は備えていてくださることに希望を置く」

「自分にはわからないことも、神にはわかっておられることに委ねて生きる」

この信仰の姿勢が、信じる人々の心を、人知を超えた平安によって守り、人間性を失わせず、なお愛と奉仕に生きる者としたことは、信仰の先達の姿を通し証しされています。そして私たちも後の時代の人々から、そういう信仰者として、きっと覚えられることでしょう。

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