「わからないことがあっても大丈夫」(2017年11月5日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

先週日曜日の宮田四郎さんのコンサートに参加された方から、演奏はもちろんのこと、宮田さんのお話がとてもよかったという感想を、何人もの方から伺いました。

木曜日の教会カフェには、最近教会の礼拝に来られるようになり、コンサートにも参加してくださったある方が来られて、キリスト教の信仰についていろいろとお尋ねくださいました。

 その方は当日配布された宮田さんの「信仰体験」「証し」の文書に、ご自分で沢山の線を引いておられました。宮田さんのストレートで分かりやすいお話が心に響いたようです。

また、その方は正直にこういうことを言ってくださいました。
「わたしは初心者なので、礼拝で伺うお話や、歌っている讃美歌の意味がよくわからないのです」「パンとジュースのようなものが配られる時も、どうしていいのかわからなくて・・」あらためて、何度でも丁寧に説明することの大切さに気づかされます。

さて礼拝のメッセージは、膨大な聖書の言葉からほんの一部だけを読みあげ、その個所が語っていることを短い時間で語ります。ですから知識として理解できないことがあるのは当然です。それでも礼拝に参加しつづけて、み言葉を聞き続けることが大切です。

それは、生まれたばかりの赤ちゃんに、ママが「かわいいね。大好きよ」と語りかけることと似ています。ママの言葉の意味を赤ちゃんは理解できません。でも赤ちゃんはママに抱っこされつづけ、ママの愛の言葉を聞いて心に蓄え続けて成長していくことで、やがてママの愛の言葉の意味が分かるようになり、さらに自分自身も、愛の言葉を語る人へと成長していくのです。

「礼拝」とは、いわば神様に抱っこされるひと時です。わたしたちは、神様に抱っこされている神の子なのだから、多少「わからない」ことがあっても大丈夫なのです。

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