「アドベントとアドベンチャー」(11月27日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

今年も主を待ち望むアドベント(待降節)に入りました。

アドベントという言葉は、「到来(アドベントス)」というラテン語がもとの言葉です。そして英語のアドベンチャーという単語も、同じラテン語からきたそうです。アドベンチャーは未来形から、アドベントは完了形からできたといわれます。

 その意味でいえば、アドベントとは、すでに約2000年前に到来した主イエスが、必ずまた来られることを待ち望むこと。つまり、私たちは、来るか来ないかわからないものを待っているのではなく、すでに来られ、私たちの罪のために十字架についたお方が、またふたたび来られることを待っているのです。

「キリストも多くの人の罪を負うためにただ一度身を捧げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです」(ヘブライ9:28)

やがてこの世界は、必ず主が「到来」し救う。そう信じる人は、失敗を恐れて現状維持にとどまることなく、日々小さな「冒険」(アドベンチャー)へと踏み出すでしょう。

たとえその一歩踏み出した「冒険」の先に、困難が待ち受けているとしても、踏み出してしまったばかりに、苦しみや、失敗をたくさん経験するとしても、「最後はちゃんと主が到来し、救ってくださる」、「主が完成してくださる」と「到来(アドベントス)」の希望に生きるなら、今日もまた、新しい一歩を踏み出していけるのではないでしょうか。

本当の失敗とは、恐れてなにも冒険しないことなのですから。

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