「使命」(2015年6月28日 週報巻頭言 藤井牧師)

IMG_0160「使命というものは、自ら買って出て担うものではありません。それは、生かされている所で誠実であろうとする構えが、自然に見出し、やむを得ないこととして担い、そして果たしゆくものです。それは、何かをするというよりは、担わされる受け身のことであり、避けてはならないとする誠実のことです。簡単にいえば、今あるさまを誠実に引き受けて、逃げないことです。使命を生きる人には、そういう受け身の誠実さからにじみ出る一種の自然さがあります。恐らく本人は、自分のしていることを、使命などとは考えていないことでしょう」(藤木正三「神の風景」より)

 

今日から来週の日曜日まで、全国壮年会連合が推進する「神学校週間」です。伝道者への道に進む多くの人々は、自分の思いや願いというより、逃げたくても逃げられないという受け身のなかで、「召命」に応え神学校で学び始めます。しかし「召命」(神が使命へと召すこと)とは神学生だけではなく、神学生を祈り支えるという「召命」もあるはず。わたしたちがそれを「私の使命」などとは考えていないとしても・・

関連記事

  1. 「神学生を覚えて」(2018年6月24日 週報巻頭言 牧師 …

  2. 真の平和

  3. 「渇いた地を潤す水」(2020年2月2日週報巻頭言 牧師 藤…

  4. 『復活の朝』(2015年4月5日 週報巻頭言 藤井牧師)

  5. 教会学校聖書の学び2023年6月11日

  6. 「わたしたちは誰のもの」(2017年2月19日週報巻頭言 牧…