「召されたところで」(2017年8月20日 週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

 先週はスペインのバルセロナでテロが起こりました。こうしてメディアを通し、瞬時に世界中で起こっている悲惨な出来事を見聞きすると、日曜日に礼拝に集い、神の愛の言葉をいただいて始まっていく、私たちの小さな愛の営みに、どんな意味があるのだろうと考えてしまいます。私たちの小さな行い、働きは、この悲惨な出来事のつづく世界の中で、何か良い変化を生み出しているのでしょうか?
 
しかし、「そのような考えは私たちを無力にし、むしろ意気消沈させてしまう」と、ヘンリナウエンは言います。そしてこう語ります。
 
「ここで『召命』という言葉が重要になってきます。世界を救ったり、すべての問題を解決したり、すべての人々を救援するために、私たちの皆が召されているのではありません。家庭や職場、世界において、私たち一人ひとりにそれぞれの召命があります。
 
自らの召命がなんであるのかを明確に悟り、信頼をもってその召命を生き抜く力を与えて下さるよう、神に求め続けなければなりません。そうすれば、小さなことに忠実であるということが、病んでいる私たちの時代に、最も癒しをもたらす答えであるということが分かるでしょう」
                   (「今日のパン、明日の糧」p.108)
 
 マザーテレサは、「世界平和の為に何ができるか」と質問され、こう答えました。
「世界平和の為に何ができるかですって? 家に帰ってあなたの家族を愛しなさい」と

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