「祈られている存在、分ち合う存在」        K.Y.兄の証

私は1950年(昭和25年)現在の沖縄県、沖縄市で生まれました。

46年前、米国民政府発行のパスポートを使って18才で上京しました。初めて、東京に住んで沖縄と本土の食文化の違いを感じました。

笑い話になりますがある日、ソバ屋に入りました。品書きを見ると、きつね、たぬき、かも南蛮とあり、びっくりしました。本土では狐や狸、鴨を食べていて随分、野蛮だなと思いました。こっそり、隣の人の食べているのを見るときつねは油揚げ、たぬきは揚げ玉と分かりホットしました。同じそばでも具を変えると別名となり、本土は細かい文化だなと思いました。

その頃の沖縄でそばというと麺と具。但し、具はそのお店の在庫の都合で、さつまあげ、豚の角煮、スペアリブ、はたまたスパムが入っている時があり、出てくるまで具が分らないことありました。つまり、どの具でもそばという名称でした。あまり細かいことは気にしない文化と思います。その影響かも知れませんがクリスチャンになったのも大まかな感じでした。

ある日のこと、京王線の仙川駅前で一枚のチラシをもらいました。キリスト教会の特別伝道集会の案内でした。私の住んでいるアパートから数分の所にある仙川キリスト教会の案内で早速、その晩、出掛けて行きました。小学校4年生までは日曜学校に通っていましたがそれ以来の教会でした。

説教の中味は覚えていませんが聖書の箇所はテモテへの手紙第一1章15節でパウロの言葉です。『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来てくださったという言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである』

印象に残ったのはパウロがわたしはその罪人のかしらなのであるという言葉でした。

聖書は読んだことはありませんでしたが集会の終わりにイエス・キリストを信じる方は手を挙げてくださいとの招きがあり、直感的に手を挙げバプテスマを受けてクリスチャンになりました。

それ以来、就職、結婚、子育て、仕事、そして無事に定年退職を迎えました。その間、色々な経験をし、色々な聖書箇所に出合い、励まされて生きてきました。

今日の聖書の箇所は人生で一番、つらい時に出合った御言葉です。この箇所は最後の晩餐の時に弟子のシモン・ペトロへのイエスの予言です。

聖書の中には12弟子の名前が出てきますがシモン・ペトロについて記述が多く有ります。そのため、シモン・ペトロの性格や信仰姿勢などが色々分かります。例えば、湖の上を歩かれるイエス様に願って自分も湖の上を歩き出しますが途中で怖くなりおぼれかけます。この箇所から私はイエス様を信じているのに試練に合うとイエス様から目を離してしまい直ぐに信仰がふらつく自分自身を感じます。

また、イエスが高い山の上で白く輝き、エリヤとモーセとで話している場面では、ペトロはイエス・エリヤ・モーセのために仮小屋を建てましょうと言います。恐れで何を話して良いか分からなかったと書かれています。私も決まったことは出来ますが突然の出来事にはあわててとんでもない回答してしまうところがあります。

また、弟子達がイエスに、人々がイエスのことを預言者のひとり、バプテスマのヨハネ、エリヤ、エレミヤであると報告した時にイエスはシモン・ペトロに『それではあなたは私を何者と思うか?』と質問されると、シモン・ペトロは『あなたはメシア、生ける神の子です』と信仰告白をします。その時にイエスはそれまでの名前のシモンからペトロ(岩)と呼び、この岩(ペトロ)の上にわたしの教会を建てると告げられます。

今日の聖書の箇所に戻ります。イエスの弟子となり、長年イエスと共に歩んだ弟子達と最後の晩餐の時、イエスは弟子達がイエスを見捨てると告げます。それに対して弟子達は決して見捨てないと言います。特にペトロは皆が見捨てても自分はそんなことはしないと言います。今日の聖書の箇所はその時にイエスがペトロに告げた言葉です。

『シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れた。しかし、わたしはあなたのために信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい』とイエスは告げます。ペトロはご一緒なら死んでも良いと答えます。それに対してイエスは『あなたは今日、鶏が鳴くまでに三度わたしを知らないと言う』と告げます。

その後の展開は皆様もご存知と思いますがユダの裏切りとイエスの逮捕があります。逮捕時、ペトロはイエスを守ろうとして大祭司の手下に打ちかかり耳を切り落とします。イエスはそれをやめさせ大祭司の手下の耳を癒し、逮捕されます。逮捕されたイエスは大祭司の屋敷に連れて行かれます。ペトロは多分、必死になってイエスの後を追ったと思います。うまい具合にペトロは大祭司の庭にもぐりこみ様子を伺っていたと思います。その時に大祭司の女中や僕たちに見つけら、『イエスの弟子ではないか?』と三度言われたが、ペトロはそれを否定します。マタイ、マルコによる福音書では誓って否定したと書かれています。その時、突然、鶏が鳴きます。イエスは振り向いてペトロを見つめます。ペトロはイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いたと書かれています。

ペトロは自分にがっかりしたでしょう。落ち込んだでしょう。もう自分はだめだと思ったことでしょう。イエスを守ろうしたが出来ず。イエスの弟子である事も告白できませんでした。

そんなペトロにわたしはあなたのために信仰が無くならないように祈った。とイエスは告げたのです。

その頃、私は自分でいくら努力しても解決できない試練の中でした。この、御言葉によって試練にある自分がイエスに祈られている存在であることがひしひしと感じ、心に安らぎが与えられました。『そうだ、自分は信仰が無くならないようにイエスに祈られているのだ。』心から感謝しました。

しかしながら、しばらく経つとイエスはもっと違うことを告げていると感じるようになりました。もっと積極的な意味があると思うようになりました。それは『わたしはあなたのために信仰が無くならないように祈った。』に続く御言葉です。『だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい』

残念ながらペトロはイエスを裏切りました。しかし、イエスはペトロにあなたの上に教会を建てると約束しています。そのペトロに『あなたのためにわたしが祈ったから信仰は無くならない。だから、立ち直ったら、試練に合い、弱っている兄弟達を励まし、力づけるのがあなたのこれからの使命だよ』と告げられていると思います。

わたしにとって『あなたは試練に合っているが、わたし(イエス)が祈っているから大丈夫だよ。これから、生きていく中ではもっと、もっと厳しい試練に合っている人たちと出会うでしょう。その人たちを力づけるように共に歩みなさい』と告げられていると感じました。

確かにその後の人生において、多くの方々にとって厳しい試練だと思うことありました。その中で自分がその人たちを力づけることが出来たとは言えませんがその方のために祈ったり、共に悲しんだり、喜んだりしました。これからもイエス様に導かれてそのように歩みたいと願っています。

 

私たちは神の恵によりこの教会で出会いました。そして、元気で快調な時もあります。落ち込んでいる時もあります。イエスの言われた力づける歩みとはわたし達に与えられた家族、友人、職場の方々や今礼拝を共にしている皆様と日々の生活の中で分かちあうことと思います。

わたし達はイエス様に祈られている存在です。そして、皆で人生を分かち合う存在だと思います。

この後、新生賛美歌 486番『ああ主のひとみまなざしよ』を賛美します。ペトロのことも賛美されています。

この賛美歌の中で私は特に4節が心に残っています。

4節 きのうもきょうも かわりなく  血しおしたたる み手をのべ

友よ帰れと    招きつつ   待てるはたれぞ  主ならずや。

 

わたし達はイエスに招かれ、神のもとに帰るよういつも待たれていると思います。感謝なことと思います。これからも皆様と共に歩ませて頂きたいと願っております。

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