「神の物語」(2018年3月18日 週報巻頭言)

 

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聖書は「神の物語」を伝えているという言い方をすると、なにか聖書のことを「竹取物語」とか「源氏物語」のような、作り話だと誤解される人もいるかもしれません。

聖書に書かれている出来事が「客観的事実」でなければ、信じる意味がないのではないかと、思う人もおられるでしょう。

さて「客観的事実」とはなんでしょう。

たとえばいつでも同じ結果が得られる「科学」の実験結果は「客観的事実」です。

しかし「歴史」は二度と繰り返せません。実験もできません。主イエスの復活も一度きりの出来事です。ですから科学のような「客観的事実」として記録することは無理なのです。歴史を伝えるためには、物語ることが最も有効な手段です。

「聖書」が様々な人間によって書かれた「物語」「ストーリー」で構成されている理由はそこにあります。

「物語」といっても、作り話ではなく、一度きりの神の出来事に遭遇した人々、聖霊によってインスピレーションを与えられた人々が、

ストーリーとして物語り、歴史に介入した神の一度きりの出来事、真理を伝えているのです。

聖書は、天地を造りすべての人を愛しておられる主が、この世を罪から救うためにイスラエルの民を選ばれたこと。

そのイスラエルから生まれたメシア、救い主イエスによって、すべての人を神の国へと招く救いが始まり、やがて終わりの日に完成する「神の救いの物語」を、私たちに伝えています。

この物語はまだ終わっていません。わたしたちも今この時代に、この「神の救いの物語」の一部を生きていくのです。

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