「終わりは始まり」(2018年12月30日 週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

何かが始まるためには、何かが終わらなければならないものです。

中学生生活が始まるためには、小学生生活が終わらなければならず、高校生活を始めるためには中学生活を、結婚生活を始めるには、独身生活に終止符を打つ必要があります。わたしは数年前、花小金井教会の牧師の働きを始めるために、酒田での開拓伝道の働きを終わらせました。そういう意味で、「終わり」とは新たな「始まり」のことです。人はつい、出来事の「終わり」を恐れてしまい、「終わり」だけを見つめ、「終わった」場所にとどまりつづけてしまいがちです。しかし「終わり」とは新しい出来事の「始まり」であることを忘れないでいたいのです。もし、なかなか新しい出来事が始まらないとしたら、始めることよりもまずちゃんと「終わらせる」ことが必要なのかもしれません。「終わり」は「始まり」。この世の「終わり」にさえ思えた、主イエスの十字架の死が、復活の命に至る新たな「始まり」であったように。

 

聖書は、やがて主イエスが再臨される「終末」のあることを教えています。その「終末」とはただこの「天と地」が終わってしまうという話ではなく、新しい「天と地」の始まる希望の日なのです。ゆえに聖書の最後の書、黙示録の最後の言葉は「アーメン、主イエスよ、来て下さい。・・・」と閉じられます。

さて、今日は今年最後の礼拝です。嬉しかったことも悲しかったことも、すべての出来事を主に感謝しながら2018年を終わらせることができますように。

心新たに2019年を始めていくためにも。

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