「絶えず祈るとは」(2017年10月15日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

今年の教会のテーマは、「主にあって互いに語り祈り合おう」。そして10月の聖句は「すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」です。
またパウロは「絶えず祈りなさい」(1テサロニケ5:17)とも勧めます。

さてこの「根気よく祈る」とか「絶えず祈る」と聞いたとき、わたしたちはこれをどのようにイメージするでしょうか。

それは、長いマラソンを走りぬき、険しい山を登るための、訓練や修行のようなイメージでしょうか。もしそうであるなら、いったいどれほどの人が、「根気よく」「絶えず」祈り続けることができるのでしょう。

「祈り」。それはむしろ「呼吸」に似ています。わたしたちは生きるために、絶えず呼吸をしていながら、疲れ果ててしまうことはありません。

「祈り」。それは愛する人と過ごす時間に似ています。会話があろうとなかろうと、愛する人と共に過ごしているときに、疲れ果ててしまうことはないのです。

「根気よく祈る」、「絶えず祈る」というイメージを、自分を打ちたたく修行のようなイメージから、「いのちにとって自然のこと」「愛する方との至福の時」というイメージへと変えるなら、

新たなる「祈りの世界」が開かれていくことでしょう。

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