昔、酒田で住まいにしていた借家を教会として礼拝を始めたころ、
「やはり教会の礼拝なのだから、ちゃんと講壇が必要だ」と思い、
カラーボックスで即席の講壇をつくって、
会衆席として「畳の部屋」に椅子を配置し、
最初の礼拝を始めました。
まだ私たち家族と求道者お二人の夫婦しかいなかったのに・・・・
その結果どうなったかというと、
来てくださっていた求道者の方が、
なかなか来なくなってしまったのです。
たまに礼拝に来られても、
なんだか居心地が悪そうにしています。
東北の人は、はっきりものを言ってくれません。
何が気に入らないのか、当初はわかりませんでした。
実はその方々はテーブルを囲む家庭集会の雰囲気に慣れていたのでした。
やがて礼拝をテーブルを囲む家庭集会の形にしてみると、
ご夫妻は心を開き始めて、礼拝にも出席する機会が増えました。
さてパウロは「ユダヤ人にはユダヤ人のように・・・弱い人には弱い人のようになった」といいました。
相手に自分を合わせて福音を伝えたパウロ。
なのにわたしは「キリスト教の礼拝とはこういうものだ」と、
講壇とか会衆席や礼拝のプログラムなど、
ある特定の時代に出来上がった教会文化を、
日本の田舎にまで持ち込んでいたのでした。
リチャードニーバーは、こう祈りました。
「神よ、変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ」と