「賛美の歌を歌い続けて」(2015年9月20日 週報巻頭言 藤井牧師)

P1050931 音楽評論家の皆川達夫氏が、隠れキリシタンの祈り(オラショ)との出会いと、その後の探求について、こう綴られていました。

「・・・約一時間もする長い祈りが続いてゆく。その中には日本語らしいものもあり、まったく訳のわからない言葉もあり・・・わたくしの心のアンテナに鋭く感じとられるものがあった。「これは、ヨーロッパのラテン語聖歌に由来するのではないか・・・その後、何回も生月島通いをつづけて録音し、また異なる集団、異なる集落の祈りも録音し分析した。・・・実は生月の隠れキリシタンのオラショはそれ以前からも何人かの研究者によって調査され、ラテン語の祈りであることがすでに確認されていた。・・・ただし一曲だけは、どうしても正体がつかめない。やむなくヨーロッパ調査の旅に出かけることにした。・・・各地の図書館、古文書館を虱つぶしに調に調べ、やっと七年目に、スペインのある図書館のカードにそれらしい聖歌集を見つけ出すことができた。司書に請求したその書が手元におかれた瞬間に体がふるえてきた。これに相違ないと直感したのである。ふるえる手で一ページ、一ページ開いてゆく。「あった、これだ」 まちがいなく生月島の隠れキリシタンのオラショの原曲が記されていたのである。それは、世界中に流布している標準的な聖歌ではなく、十六世紀のスペインのある地域だけで歌われていたローカル聖歌であった。それがこの地方出身の宣教師によって四百年前のわが国にもたらされ、九州の離れ小島で命をかけて歌いつがれてきたのである。 この事実を知ってわたくしは、言いしれぬ感動にとらえられた。きびしい弾圧のもと虐殺に耐えて隠れキリシタンたちが生きることを支え、信仰をはげましてきたのは聖歌であり、音楽であった。音楽が、人間の生きることを支えてきたのである。」

さて、目先の力を求め、主イエスの言葉に耳を閉ざす時代のことを、『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/泣いてくれなかった。』(ルカ7:31)とルカは譬えます。しかし、わたしたちは主の奏でる笛に踊り、主の歌にあわせて歌う仲間です。どのような状況、時代であっても、賛美の歌の力を信じ、共に歌い続けましょう。

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