八百万の神と聖書の神  ヨハネの手紙一 4:7-10  N.K.兄  2014・7・6

1.東京バプテスト神学校に入学

私達の日本バプテスト連盟には、神学校が3つあります。九州の西南学院神学部、九州バプテスト神学校、そして私が通学している東京バプテスト神学校です。

私は昨年の後期から「東京バプテスト神学校の信徒リーダーコース」に入学しています。

茗荷谷教会内の神学校に通学していますが、インターネットによる同時ライブ授業や通信受講者もおられ、約50名が学んでいます。

私は、昨年後期に「組織神学」と「伝道学」を受講しました。毎週夜2回の通学はちょっと大変ですが、疲れを感じないほど楽しい学びをいただいています。

現在学んでいる「教会教育概論」では、一般教育とキリスト教教育はどう違うのか?信仰は教育できるか?などのテーマを考えたり、「新約聖書概論」では初代教会の様々な教会の様子を学びながら、今の教会を考えるものです。

なぜ今頃になって神学校に行きたいと願いが起こされたのか、と言いますと、

日頃病気知らずの元気な妻に病気が発覚、1年余りの闘病生活で6年前に召天したのがきっかけとなりました。

その時の私は、高校生の時から神様を信じ何十年も教会に通ってきた者ですが、病床の妻をどのように慰め励まし、御言葉を語り掛けたらよいか戸惑い、また自分自身でも何を祈り、何を信じたらよいのか分からず、“神様なぜですか?”との祈りしか出来ず、私の信仰はグラグラと揺す振られました。

もう一度信仰の原点に戻ろう、クリスチャン1年生からやり直そうとの思いになりました。

さらに、自分は何をどのように信じているのだろうか?と、自分の信仰を吟味し整理して理解を深めたいとの思いが与えられました。そこで、もっとキリスト教信仰の基本を体系的に学びたいとの思いになり、東京バプテスト神学校に入学した次第です。

学ぶことが自分自身のためだけに留まらないように、自分の信仰の拠って立つ所を常に確認すると共に、教会内でも、信徒として、先に救われた者として、御言葉を新来者や求道者分かりやすく語る者に、また悩みなどを持つ方々には、主からの慰めのみ言葉を取り継ぐ者なりたいと思っています。

私は入学するまでは「神学」を信仰には必要の無い堅苦しい理屈ぽいものと思っていましたが、「信仰とは何をどのように信じているか?」それを学び考えるのが「神学」だそうで、少しホッとしているところです。これから学んだことを教会の皆様とも分かち合いと思いますから、知力・体力・気力が弱くなってきた私を、お祈り支えてくだされば幸いです。

 

2.日本の宗教観と聖書の神

さて、私たちの周りには様々な宗教があり、また宗教的な習慣の中にあります。日本の歴史や文化やいろいろな習慣も加わって、日本の宗教観は形成されてきたのでしょう。

「日本の宗教観と聖書の神」はどこがどのように違うのでしょうか?

私もかつては聖書の神を知らない者でした。しかし今は聖書の神を信じる者とされていますが、私達の周りの方々のほとんどの人は、聖書の神を知らない方々です。クリスチャン人口は僅か1%と言われていますから。

でもここで、神から選ばれたことをことさら意識したり、表明することではなく、私が聖書の神に導かれたことを感謝する中で、どのような状態から解放され自由にされ、罪許されて希望を与えられているかを確かめることにあります。

 

①日本人の宗教人口

最近の文部科学省の宗教統計調査によれば、(人数算定方法は定かではありませんが)神道系:約1億700万人、仏教系:約9800万人、キリスト教系:約300万人、その他:約1000万人、合計2億9000万人で、不思議なことに日本の総人口の2倍以上となるそうです。

 

②日本の宗教

日本には、いろいろな宗教があり、宗教行事や慣習の中にあります。

(1)神道:神社にお参りする七五三、初詣、季節のお祭り、自宅の神棚、氏子制度など

(2)仏教:多数の宗派、檀家制度、葬儀、お盆など

その他には、(3)儒教、(4)新宗教、(5)その他の宗教などがあります。

私達の日常もの多くの宗教と慣習の中にあることを知ります。

③日本の宗教観

ア.日本人は無宗教でしょうか?

2012年アメリカの調査機関によれば、日本人の57%が無宗教、36.2%が仏教徒、日本は世界4位の無宗教国家とされています。

「無宗教」は概して特定の宗教を信仰しない、宗教的主張がない事であり、神の存在をかならずしも否定しない。無宗教者の中には超越的存在を認めている者もいるようです。

2005年のある日本の新聞社の宗教に関する世論調査では、「宗教を信じていない」が75%、「信じている」が23%だったそうです。その調査の要約では、現代の日本人の大多数は、実際にはいわゆる宗教儀礼に参加しているけれど、特定の宗教組織に対する帰属意識は薄く、自分のことを「無宗教」と考える人が多いとのことです。これは日本人が神や仏を否定しているのではなく、何かしらそれなりに信じている。(なんとはなしの信仰心)と言っています。

「個人的には無宗教だが、宗教心は大切だと思う」。ただその宗教心を「特定の宗派」に限定されることに抵抗があるようです。

 

イ.二宮尊徳の話

「二宮翁夜話」に“本当の真理はただ一つしかないが、その真理に近づく入口はいくつもある。神道、仏教も多数の宗派がある。例えば富士山に登るのにいくつもの登山口があるが、最終的に頂上に至れば同じ場所であると同様である。”これは、日本人の宗教に対する曖昧な捉え方を端的に表しているようです。

 

4.日本の「神」

(1)神道の神概念

神道には唯一絶対の神という概念はなく、「八百万の神」山の神、海の神、風の神など、大自然そのものが神という捉え方、自然崇拝です。

自然界の目に見えないエネルギーも神と呼んできました。風神、雷神、火の神などもあります。

もう一つの神道の柱は、先祖崇拝です。先祖神と言われるように、神話に出てくる神々から、自分たちの先祖も含まれます。

神道でいうところの神というのは、目に見えない精神的なすべての存在を指していう言葉のようです。

(2)神道と仏教

ほとんどの日本人は、あらゆる物に神を見出して、神社の「神」も仏教の「仏」も同時に信仰できます。誕生や七五三は神社に、葬式はお寺で行うようにです。

歴史的にも神仏習合や神仏分離の歴史があったことが影響しているのでしょう。

神道と仏教はその機能を分担しており、両者を合わせて一つの宗教観を構成しているようです。

 

5.大多数の日本人が信じる神と聖書の神との対比

大多数の日本人が信じる神と聖書の神を対比して考えてみましょう。

①見える神か、見えない神か

私たち人間は、五感をとおして分かるものでなければ、信じられないと言います。見える形、石や金属や木材で神の形を作り、それを信じる対象とします。神社仏閣、道端のお地蔵さんや諸々の神々が溢れています。しかし、人によって作られた神は、人や者を神格化し神にすること、すなはち「偶像」崇拝です。

聖書の神は目に見えません。(ローマ1:20)「目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。」また、(ヨハネ4:24)「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」ただし、イエスだけは、見える神の子としてこの世に来られ、私たちに見える存在として現れました。

 

②多数ある神か、唯一の神か

日本では八百万の神々と言われています。神の間で神の仕事を分業しているかの様子です。結婚の神、受験の神、交通安全の神、健康の神など沢山あります。

また、山の頂上(真理)にたどり着くには、いろいろの道がある。どの道(どの宗教でも)、頂上に着けば皆同じ、だと言われます。その真理とするものは人間が作った概念であり、人間の知性や理性で認めたり悟ったりするものと考えられています。

聖書の神は、他の神々の存在を認めませんし、その存在を許しません。(イザヤ45:5-6)「わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はいない。わたしはあなたに力を与えたが あなたは知らなかった。日の昇るところから日の沈むところまで 人々は知るようになる。わたしのほかは、むなしいものだ、と。」聖書の神はただひとり、ほかの存在と相対して認められるような相対的な存在でなく、絶対的唯一の存在です。

 

③偏りの神か、全知全能の神か

八百万の神々で、わたしは全知全能の神であると宣言した神はありません。八百万の神々は何かに偏った神であります。

聖書の神は、天地万物を創造、見えるもの見えないもの全てを創造した方だけが、全知治全能といえるのです。(創17:1)「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」

 

④自然の中にいる神か、宇宙を超越している神か

日本人は、自然の中に神や霊の存在を認める習慣があります。太陽や木や石を拝んだりします。自然だけでなく、動物の中にも宿っているとします。なにかしら有難い物を神とする汎神論の考え方です。

聖書の神は、天と地、世界の全て、全宇宙を造られた方です。(詩139-8-10)「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも、あなたはそこにもいまし、御手をもってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる。」

 

⑤歴史上の神か、永遠の神か

日本では、歴史上の多くの人物が神格化されて神とされて祀られています。

聖書の神は、永遠の神であり、過去、現在、未来の連続性に対して、全く拘束されず、時間を支配されている方です。時をも創造された方です。(詩90:1-2)「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。山々が生まれる前から、大地が、人の世が、生み出される前から、世々とこしえに、あなたは神。」

 

⑥傍観者としての神か、裁き人としての神か

日本には、“触らぬ神に祟り無し”、と神にかかわらなければ、災いに関係がないといいます。

聖書の神は、聖なる方であり、義をもって罪をにくまれ、罪を裁かれる方です。(詩119:137-138)「主よ、あなたは正しく、あなたの裁きはまっすぐです。あなたは定めを与えられました。それはまことに正しく確かな定めです。」

 

⑦単なる愛の神か、愛の具現者としての神か

日本の神々も一応は愛を解きます。しかし、それは、人間の頭で想像する抽象的な言葉や道徳的な言葉の範囲を出ません。

聖書の神は、人に見える形で、神の一人子であるイエスをこの世におくり、人に分かる形で、愛を表してくださいました。それがキリストの愛であり十字架です。(ヨハネⅠ4:7-10)「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償う(ツグナウ)生贄(イケニエ)として、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」

 

以上のように、大多数の日本人が信じる八百万の神々と対比してみましたように、

私達の信じる聖書の神は、霊なる神、唯一の神、全知全能の神、宇宙を超越している神、永遠の神、裁く神、愛なる神です。しかもこれらの性質全てを持たれる唯一の神です。

その神は、その独り子イエスキリストを私達に遣わしてくださり、私達の罪の贖いのために十字架に架けられ、死んで私達に真の愛をして下さいました。そしてさらに蘇り、私達のうちに住み、永遠の命の希望を与えてくださっています。

私達の周りは、八百万の神々で溢れており、何が真実の神であるのか分からない人々、真の神ではないものを神としている人々が多くおられます。

その中で私達は、不思議な導きにより教会に導かれたといえます。

私達は、教会に導かれ、イエスキリストに出会い、その十字架の愛を知り罪を赦され、共に礼拝する者とされていることを感謝します。このイエスキリストをこれからも救い主として信じ、喜んで従っていく歩みをさせていただきましょう。

 

祈りましょう

私達は、唯一の主なる神、子なるイエスキリスト、聖霊の三位一体の神を共に礼拝するものとされていることを感謝します。

また先に導かれた者として、私たちの周りにおられる方々、家族・お友達・近所の方々・同僚など、何を信じて良いか戸惑っておられる方々、またいろいろな悩み苦しみに弱っている方々に、私たちが遣わされ、寄り添い、イエスキリストの十字架による神の愛と希望を紹介する良き証し人となることができますようにお導きください。

イエスキリストのお名前により祈ります。

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