日本バプテスト連盟-6・22沖縄を覚える平和集会での証    H.N.姉

6月23日は沖縄戦で犠牲になった方々を覚え平和を祈る日です。その日を挟んで3-4日間、毎年日本バプテスト女性連合は「沖縄(命(ぬち)どぅ宝(たから))-命こそ宝の日」学習ツアーを実施しています。これまで私は沖縄学習ツアーに続けて参加してきましたが、残念ながら今年はどうしても参加することができませんでした。そんな中、この沖縄の平和を覚える集会でお話しさせていただく機会が与えられ、心から感謝している次第です。

私がこの学習ツアーに参加するようになったのは、2007年女性連合総会の席上、過去の戦争で沖縄を日本国外と位置付け、同じ日本人でありながら沖縄が戦中・戦後を通して受けた苦難に無関心であったことへの悔い改め、またこれからの沖縄の歩みと私たちのあり方を考えるために、沖縄の現状を覚えて祈りを合わせてください、と涙で訴えられた「沖縄(命どぅ宝)の日」推進委員長の言葉にたいへん心を揺さぶられたからです。 その土地に身を置くというのは、五感(-目で見て・耳で聞いて・においをかいで・味わって・触って)すべてを使ってあらゆることを感じることです。ですから沖縄学習ツアーの工程は辛いことがたくさんあります。どうぞ皆さんも目を閉じて五感を働かせて、感じてみてください。 沖縄のまとわりつくような湿った暑さと熱風は体力を奪います。68年前も間違いなくそうでした。そのむせかえるような暑さの中、食べ物はおろか飲み水さえロクになく、沖縄の母親は年寄りと子どもを抱えて戦火をくぐり抜けます。年端もいかない女学生は血と膿と汚物にまみれて兵士を看護します。麻酔薬もない状態で大けがをした手足を切断される兵士を女学生は体全体で抑え込み、切断された手足を片づけるのも女学生の仕事です。さらに自ら危険を冒してガマの外に出て、飯上げの道を走って食料を調達しに行きます。 目を閉じれば、私が生まれるずっと昔にこの土地で起こっていた苦難の光景を、目の当たりにするようです。そのような過酷な光景を肌で感じる。私たちの身代わりとなって、本土を守るために楯とされて亡くなられた20数万の人々の存在を知り、その人たちの果しえなかったささやかな夢や希望に心を寄せる。そして今もって尚、戦争のトラウマから解放されることなく日米安保条約の負担を一身に背負って、戦闘機やオスプレイが飛び交う不安な状況で生活されている。そのような沖縄に生きる人々に心を寄せる、それが沖縄学習ツアーだと思います。(ちなみに、毎年南部の戦争跡地を沖縄バプテスト連盟の女性や子どもたちと共に訪れますが、沖縄に生まれ育つ方のほとんどは戦争跡地を訪れたことがないそうです。かの戦争を体験した方々の心の傷は深く、戦争の話をすることも、ましてや跡地を訪れるようなことは、戦後68年経った今もまだまだできないことだそうです。) 沖縄を訪ねることによって、それまで白黒写真だった沖縄がカラー写真に見えるようになりました。それは自分には関係ない、他人事と思っていた沖縄の出来事が、その過酷な歴史を知ることにより、また本土の身代わりの捨て石とされていった方々のことを知ることにより、もはや自分と無関係なものではなくなったからだと思います。 また、沖縄にオスプレイが配備された2012年10月以来、普天間基地野嵩ゲート前でゴスペルを歌う会が雨の日も嵐の日も毎週毎週続けられています。東京でも沖縄に連帯するため、首相官邸前でゴスペルを歌う会が同じ年の11月26日から、毎月第4月曜日にキリスト者平和ネットの呼びかけで始まりました。そして沖縄・東京の活動に呼応して、ゴスペルアクションin 福岡も始まっています。私たちは直接沖縄に出かけて行くことができなくても、共に歌い・祈り合う中で、沖縄の苦しみを沖縄だけのものにしない決意を誰でもがすることができます。

 

沖縄命どぅ宝の日には「知る」「祈る」「共有する」というスローガンがあります。 私たちの持つ力はそれぞれでは小さなものですが、知り続けること、祈り続けること、共有し続けることは、神さまから頂いた力です。

祈りと願いは決して滅びないと信じます。そして、泣く者と共に泣き、笑う者と共に笑ってくださる神さまは、私たちのことを決して捨て置くことをされません。そのような愛の神さまに倣って、私たちも基地のない・平和であたりまえの暮らしを願う沖縄の人々と祈りを合わせて参りましょう。
「あなたがたが、私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことは、これを実行しなさい。そうすれば平和の神が、あなたがたと共にいますであろう。 ピリピ人への手紙 4章9節」

こうして私は何度も何度も推敲してこの証を書き上げました。そして証が出来上がった日の夜、「標的の村」という映画を見に行きました。この映画は、米軍の新型輸送機「オスプレイ」ヘリパッド(着陸帯)の建設に反対し座り込んだ、沖縄・東村(ひがしそん)高江(たかえ)の住民を国は「通行妨害」で訴えました。反対運動を委縮させるために国が住人を訴えるSLAPP裁判注)参照と闘い、世界的にも希少価値の高い生物や植物の宝庫 「やんばるの森」とそこに生きる子どもたち・大人たちの命と生活を守るために、必死で闘い続ける高江の村の人々を記録した映画でした。

注)国策に反対する住民を国が訴える。力ある団体が声を挙げた個人を訴えるなど、弾圧・恫喝目的の裁判をSLAPP(スラップ)裁判と言います。そしてアメリカではこのようなSLAPP裁判は禁止されています

こんな風に痛めつけられている人々がいます。同じ国に暮らしていながら報道されることもなく気づかない私たち。また高江の人々を排除するために投入される沖縄人の土木作業員や若い警察官。米軍のヘリパッドを作るために沖縄の人間同士が争わなければならない矛盾。そしてそこには沖縄の人間を分断するたくらみを持つ人間が、こっそり隠れていることも気付かされます。 この映画を見て、私は何日もかけて仕上げたこの証しが、もろくも音をたてて崩れた気がしました。私は沖縄学習ツアーで教えられたこと・学んだことを皆さんにお分かちできるようにと準備を重ねて用意した証でしたが、こんじまり・小奇麗に整えられた証しは、まだまだ机上の空論であり、そこには何の意味もなかった気がしました。 しかしながら今もって尚、私たちの身代わりとなって苦しみの渦中にある沖縄の人々と分かち合っていくためには、ずっと沖縄を祈りに覚え、何かをし続けるほか道はないと思わされています。

 

苦渋と欠乏の中で乏しくさすらった時のことを決して忘れず覚えているからこそ私の魂は沈み込んでいても 再び心を励まし、なお待ち望む。

主の慈しみは決して絶えない。主の憐みは決して尽きない。それは朝毎に新たになる。

「あなたの真実はそれほど深い。主こそわたしの受ける分。」とわたしの魂は言い、わたしは主を待ち望む。  哀歌 3章19節~24節

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