主イエスはあるときこう言われました。
「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。
宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活する時、あなたは報われる」
(ルカ14:12~)
主イエスが言わんとしていることは明確です。
「報いは神から受けよ」です。
しかしこの主イエスの言葉は、いつかは失う権力を保ちたくて「沢山お返しのできる有力者」ばかりを宴席に招きつづける世俗な人には「愚かしい言葉」に響くことでしょう。
しかし永遠の命に生きる人には
「虫が食ったり、さびついたり、また盗人が忍び込んで盗み出したりする」(マタイ6:19) やがてはすべて失う地上の「愚かな報い」に期待するより、
いつまでも失われることのない神の国における復活と、
主の報い待ち望む人として、
今をより「賢く」生きることが許されています。
さて今日の礼拝では、特にバプテスト連盟から世界に派遣された宣教師の方々を覚え、祈り、献げます。
もちろん、わたしたちが献げるものは、結局はこの地上で報われようと、ご利益やお返しを期待して献げるものではありません。
特に宣教師のために献げられる献げものは、わたしたちにお返ししようにもできない、遠く離れた人々になされるものであるからです。
そのような「尊い献げもの」によって、主の働き人たちは世界へと出て行き宣教の働きに専念することができます。
そしてこの花小金井教会も、かつて報いを求めず献げてくださった、遠くに生きる人々の「尊い献げもの」によって実った実りです。
それによって、わたしたちは朽ちない「永遠の命」という宝を知りました。
その宝の価値をしる私たちもまた、
天に宝を積む「賢い人」として、お返しのできない人々への「尊い献げもの」を大切にしたいと思います。