(「福音宣言」晴佐久昌英 著より)
「ここに、水道の蛇口がある。蛇口の前には、乾いて倒れた旅人がいる。その蛇口が開けば旅人の命は助かり、開かなければ旅人は死ぬ。
キリスト者の口は、この蛇口だ。神の山からあふれくるいのちの水が、キリストの教会二千年の水道を流れ、現代の旅人がそれをごくりと飲むまでのラインをつなぐ最終接点がキリスト者の口なのである。なんと尊い口であろうか。そして、それを開くことは何と気高い使命であろうか。その蛇口は、旅人はもちろん神さえも勝手に開けることができないのだから。キリスト者自らが、与えられた愛と自由意思によって開けない限りは。
一方に無尽蔵の水があり、一方にそれを飲めずに乾く人々がいる。あまりにもどかしい現実ではあるが、すべては神の摂理による完成へのプロセスなのであろう・・・
口を開くのは決して難しいことではない。天の水圧は巨大ダムのように圧倒的なのだから、ほんのわずかでも開けば福音がほとばしり出る。たとえ五秒でもいいから、ともかく相手のそばに行き、口を開けばいいのだ。ひとことの「だいじょうぶ、信じよう!」なら、二秒もかからない。それは目の前の一人の神の子の、魂の生死にかかわることなのだ。」
「・・知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください」(使徒2:14)