主日礼拝で毎週ヨハネの手紙を読み続けています。
この手紙は、地上を生きた主イエスを知らない世代が、教会を構成するようになった1世紀の後半頃に書かれました。偽預言者と呼ばれている、当時のギリシャ的な霊肉二元論の影響を受けた教師の教えによって、教会の交わりが壊されていたことへの危機感が、この手紙の背景にあると言われています。
霊肉二元論とは、簡単に言うと霊は永遠的で神聖であり、肉体はこの世的で、一時的で低俗であるという思想です。精神性、知恵、叡智(グノーシス)こそ救いであり、光というところから、グノーシス主義ともいわれます。
当時の教会において、グノーシス主義に影響された教師が主張していたことは、
・キリストは神の子、救い主である。そのキリストが、罪的な肉体を取られるはずがない。
・キリストが人間となって生きたはずがない。(歴史性の否定)
・キリストが十字架にかけられ死ぬはずがない。(十字架の贖罪の否定)
・キリストが肉体をとって復活するはずがない。(復活の否定)
・キリストが昇天するはずがない。(昇天の否定)
また、キリストは人となられたのではなく、ナザレのイエスを仮の人間として現れただけだともいいます。キリストは人間イエスに一時的に入り、十字架の死の時にキリストは肉体から離れたのだ。死んだのは人間イエスだったのだとする「仮現説(仮の姿としてあらわれた説)」も、グノーシス主義と根を同じくする考えです。
グノーシス主義とは、結局のところ、罪に悩み苦しむ人間のために寄り添ったりしない、冷たいキリストを説き、教会から神の愛を奪い取っていました。それに対し私たちが教えられ、信じている救い主とは、人の罪のために自らが傷つき、死なれ、その犠牲の愛によってわたしたちを罪から救ってくださる、人となられた神の子。イエス・キリストなのです。