「主イエスの言葉との葛藤」(2016年5月8日 週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

私は20代を自衛官として生きました。それは当初、音楽隊に入って好きな音楽で生きていきたいという、あこがれからでした。

憲法9条と自衛隊の微妙な関係について、その頃はあまり考えたことはありませんでした。「音楽をするために自衛隊に入ったのだ」という意識が強かったからです。26歳の時に主イエスと出会い、バプテスマを受けます。その頃から、主イエスの言葉と自分の考えが葛藤するようになります。「自衛のための力まで放棄してはいない」という憲法9条の自分なりの考えと、主イエスから聞こえてくる「剣を持つものは剣によって滅びる」というみ言葉の葛藤を感じるようになります。

さて、人は自分の考え方や立場を、自分自身で選んでいるように思うものですが、実際は、自分のおかれた時代、状況、環境、出会いのなかで、様々な影響を受け、自分の考え方や立場を作っているのが、現実ではないでしょうか。

そうであるならば、今目の前のことしかわからない人間の言葉ではなく、時代、文化、状況をこえて響いてくる、主イエスのみ言葉に、今こそまっすぐに耳を傾けたいのです。「主イエスならどうなさるだろうか」と、自分に問いつつ。

「心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか・・・」ロマ12:2

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