「人は何のために生きるのか」(2018年2月4日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)

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10年くらい前、稲盛和夫氏(当時 京セラ(株)名誉会長)の講演会を聴きに行ったことがあります。

テーマは「人はなんのために生きるのか」という興味深いものでした。

会場は満席。経営者が多かったようです。

稲盛氏の結論は、「人生の目的は魂を磨くこと」ということでした。

死ねば肉体はこの世に置く。しかし魂は永遠。だからこの世で魂を磨いて、やがて旅立っていくことが人生の目的なのだと・・・

また、「因果応報の法則」とか、魂を磨くためにと、釈迦の教え「六波羅蜜」などを紹介なさり、ちょっとした仏教入門のような内容でした。

さてもし神が存在しないのなら、「人生は魂を磨くためにある」といってみても、その磨いた魂を、だれに見てもらうのだろうかと、私は素朴な疑問を抱きました。

職人が「業を磨く」のは、その業を評価する人がいるからです。

「魂を磨く」のは、誰に対して磨くのでしょう?

もし神がいないのなら、むなしい自己満足ではないでしょうか?

無神論者のバートランド・ラッセルさえも「神がおられると仮定しない限り、人生の目的を問うことには何の意味も無い」と語りました。

「人生の目的」とか「何のために生きるのか」ということを、自分を中心にして考え始めても答えは出ないのです。

自分で自分を存在させたのではないのですから。

「わたしが存在しているのは、神がそう願われたからであり、神によって、神のために造られた」。

この創造主を信じる信仰に立って「わたしはなんのために生きるのか」と、神に問いたいのです。

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