私が中高校生だった頃、青年のお兄さんお姉さんがとても大人に見えました。そのお兄さんお姉さんと同じくらいの歳になった今、当時の彼らより、そして中高校生だった頃に思い描いていたよりもずっと子供っぽい自分を残念に思うこともあります。気持ちとしては青年より少年少女と呼んでほしいくらい、リーダーよりも少年少女になじんでいる気がしますし、リーダーという響きがなんだか私には責任が大きく感じます。
夏に参加させていただいたリーダーキャンプは、少年少女大会に参加している中高校生と一緒に行うプログラムが多いかと思っていたら、ほとんど少年少女と過ごす時間はなく、私よりずっと年上の参加者の方々と教会教育について語り合う時間が主でした。他の参加者の方々は、中高校生の子供がいらっしゃる方も多く、また長い間教会の中で子供達に教えてこられた方々でした。
リーダーキャンプと少年少女大会の参加者が共に分かち合うことができる唯一の時間が、就寝前に行われる10分間の祈りの時でした。私が担当したのは12人の高校2年生の女の子たち。私としては、あまり歳も変わらないし、同年代のつもりで一緒に祈りたかったのですが、彼女たちは私を大人のひとりとして考えてくれました。1日目には当たり障りのないお祈りの課題しか出なかったのが、最終日には個人的なお家の悩み、恋の悩みなどを打ち明けてくれて、また、お祈りしてほしい。とお願いをされました。
他のリーダーキャンプに参加しているベテランのリーダーの方々を見て、私はまだまだだと思ったり、お祈りの時間のリードをお願いされたことに喜んで、はりきってみたりして。「お祈りとはなにか」ということを深く考え、また準備していきました。けれども実際に現場で必要とされていたのは、なにかを教えたり先に立って道を示したりすることではなく、彼女たちの話に耳を傾け、だまってそばにいて聴くことでした。
リーダーキャンプで学んだことは、リーダーとは教育者ではなく、伴走者であること。また、伴奏者であることでした。道を整えるのも道を示すのも、ちっぽけな人間の力では行うことが出来ません。全ては神様の御業です。私はリーダーとして、子供たちの先を行く者ではなく、子供たちの息づかいを聞き、歩調を合わせ、共に悩み、共に祈り、共に歩んでいく者でありたい。と思わされました。私が少年少女だった時も、今も、これからも私のために誰かが伴走者で居てくれるように、私も誰かの伴走者でありたい。そして誰よりも近くにいて、離れたり見捨てたりすることのない最高の伴走者である神様のことを、より多くの人々に伝えていきたいと願いました。