以前、家族5人の家の伝道所で礼拝をしていた頃、毎週だれかが礼拝に来るか、こないかということで、心が揺れていました。ある時、壮年の方が家の教会の礼拝に出席し始めました。家族だけの礼拝に1人でも参加してくれることは、大きな慰めです。その方は真面目な方で、毎週礼拝に来続けてくれました。事情があり、彼はバプテスマは受けることなく2年ほど礼拝に出席し続けましたが、ある時から仕事が忙しくなり、礼拝に来られない日が増え始めました。でも彼は礼拝に来られなかった夕方、献金だけを届けてくださるような方でした。さらに礼拝に来られない日が増えてきて、家族だけの礼拝が続くようになると、わたしの心の中で焦りを感じ始め、「なぜこられないのだろう」「どうして」という思いに捉われ、その思いが彼への態度にあらわれてしまったのです。やがて彼から「もう、教会にはいけません、ごめんなさい」と謝られてやっと気づきました。イエスさまへの信仰を伝えているつもりが、実は、自分のエゴで彼を追いつめ、苦しめていたことを
「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような
者ではありません・・ひと言おっしゃってください。そして・・癒してください」(ルカ7:7)