「待つことの価値」(2017年12月3日週報巻頭言   牧師 藤井秀一

今年も主を待ち望むアドベント(待降節)に入りました。アドベントという言葉は、「到来(アドベントス)」というラテン語がもとの言葉だそうです。

旧約聖書の民が待ち望んでいた救い主(メシア)として主イエスはクリスマスにこの世にお生まれになりました。そして救い主イエスと出会ったわたしたちは、この罪と暴力にまみれた世界に、神の救いを完成する方として、主イエスが再び来られる日を待ち望む意味で、アドベントを過ごします。

今、なにかを「楽しみに待つ」経験をすることが少なくなりました。

調べ物はインターネットですぐに答えが得られ、ほしいものもネットで注文して「待つ」ことなく、手に入れることができます。「待つこと」に積極的なイメージはなく、「時間の無駄」という否定的なイメージが強い時代です。

そのような今の時代だからこそ、この「アドベント」という主の到来を「待ち望む」教会の信仰、「待ち望む」生き方、文化の大切さを思います。

こどもの成長も、新入社員の成長も、「信じて待つ」ことが必要です。「待つ」ことができなくて、傷つけ合ってはいないでしょうか。

「待つ」こと。「待ち望む」ということは、決して時間の無駄ではなく、むしろ、忍耐し希望しつつ待つことでしか味わえない実りがあるのです。人は「待つ」あいだ、無力にさせられます。種をまき、水をあげるまではできても、その種を成長させることはできません。あとはただ待つのみのです。「待つ」とは、人間が無力にさせられることで、神が働かれ、この世界に神によるよい実りがもたらされると、信じて委ねることなのです。

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