週報巻頭言
「神の子どもたちの祝福礼拝」 藤井 秀一
今日の礼拝では、教会につながる小学生以下の子どもたちを覚えて、「子ども祝福式」を行い、神様の祝福を祈ります。
ここで、子どもたちについて少し考えてみましょう。日本の文化では、新生児の成長と健康を祈るお宮参りや、3歳と5歳の男の子、3歳と7歳の女の子の健康と成長を祝う七五三など、子どものための特別な行事があります。
一方、イエス様の時代のユダヤ文化では、子どもたちには割礼が行われました。これは生後8日目の男子に施され、神とアブラハムとの契約を象徴するとともに、新生児をユダヤ教の共同体に迎え入れる儀式でした。さらに、「バル・ミツヴァ」や「バット・ミツヴァ」は、子どもたちが成人として宗教的な責任を負う年齢になったことを祝う儀式で、男子は13歳でバル・ミツヴァを、女子は12歳または13歳でバット・ミツヴァを迎えます(ただし、バット・ミツヴァは近代以降の儀式で、1世紀のユダヤ教では行われていませんでした)。福音書には親が子どもたちを連れてイエス様に祈りを求めた様子が描かれています。この時代のユダヤ社会では、尊敬する人物や宗教的指導者からの祝福が大切にされていたのでした。
さて今日の礼拝では、使徒パウロの言葉「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです」(ローマ8:14)からメッセージを聴き取ります。この言葉は神とキリスト教徒一人一人との深いつながりを示しており、キリストの十字架による罪の贖罪を通じて、血縁を超えた神と人間との愛の関係が実現されることを意味しています。そして信じる者は誰でも「神の子」とされるというパウロの教えは、他の宗教にはない、福音のユニークで重要なメッセージなのです。
このように考えると、私たちが毎週行っている礼拝とは、実に「神の子どもたちの祝福礼拝」と言えるのかもしれません。
https://youtu.be/M_7s9OQiNok