「今を生き抜く力の源」(週報巻頭言) 藤井 秀一
先行き不透明な今の時代を、なお希望をもって生きていくために、キリスト教の「歴史観、特に「終末論」を知ることが大切であることを先週のメッセージでお伝えしました。
始めに神が目的をもってつくられたこの世界は、神の愛の意図から離れてしまうという、「罪」に傷つき、傷んでしまったけれども、神はこの世界をあきらめず、神と共に生きる世界へと救いだすために、まずイスラエルの民を導き育て、その信仰の流れの中から、御子イエスをこの世界に与え、神はそのイエスにおいて、全世界の罪の贖い、罪からの救いの道を開かれました。
それからの今に至るまでこの「福音」は全世界に広げられていき、やがて時至って神は、この世界を「神の国」「天の国」として完成するために、御子イエスを再び与えてくださる。その時、先に眠りについたものも、これから眠りにつくものも、共に神の創造の力によって、新しい体をいただき、主イエスと共に「神の国」に入ることになるという、この希望にいたる「終末」のストーリーこそが、苦難の中を生きるキリスト者たちに、なお「今」を生きる勇気と力を与えてきたのです。
使徒パウロはその「神の国」「天の国」へと至る終末の希望を、こう表現します。
「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。」(フィリピ3:20~)
キリスト教の「希望の終末論」を支える土台は「復活信仰」です。
十字架に死んだイエスを復活させた神は、わたしたちをも新しい命へと復活させてくださる。この「復活信仰」がもたらす、苦難を生きぬく力の証人が、まさにパウロでした。彼は投獄された苦しみの生活の中で、このように告白します
「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」(3:10~)と。
https://youtu.be/miUGpDSQIk0