週報巻頭言
「生涯の日を数える知恵」 中根 淨
詩編は、私達の信仰のルーツであるイスラエルの民が、礼拝の時に歌った讃美歌のようなものです。その内容は神への賛美、願い、感謝、信仰告白そして祈りとなっています。
今日の90編は、人生のはかなさの中で、神さまの永遠性を讃える歌です。死とは何か、人の生涯とは何かを考えさせられます。まさに天地創造の神さまを讃え、私たちはその中で生かされている者であり、神さまとの信頼を告白しています。神さまは永遠ですが、人は塵で創られたから、神さまがご自身の思いで人を塵に返されます。そして『人の子よ、帰れ』と、なんと温かい声ではないでしょうか。
私たちは今、神さまの元に立ち返り、またやがて永遠の住まい、天にある故郷に帰っていくのです。神さまの永遠性に比べて、人の命は草花のように短いものと、人生の儚さを嘆いているようにも感じられます。でも、限りある人生だからこそ、私たちは神さまの愛に気づき、その声を聞くことができるのでしょう。
そもそも、神さまの人への怒りは、人が神さまから離れたことにあります。これが罪なのです。その結果、私たちの命は限られたものになりました。神さまから見放されるしかないのです。従って、“生涯の日を正しく数えること”とは、若い人たちは、人生は長いと片付けることではなく、また年配者は、残りの時間ばかり気にすることでもありません。すなわち人の命は限りがあること、神さまの愛の中で生かされている命であることに気づくこと、この知恵を与えて下さいと祈りましょう。さらに私たちの罪によって、神さまから離れてしまったイスラエルの民と私たちは、“主よ、私たちの元に帰って来てください”、“神さま、怒りではなく、憐れみを注いでください”と懇願せざるを得ないのです。
この長い間イスラエルの民の救い主を待ち望む思いと、今を生きる私たちの思いに、神さまは応えてくださったのです。それが主イエス・キリストです。主イエス・キリストの誕生・十字架の死・そして復活なのです。そして、その主イエスは、友人の死を前にして、こう言われました。「あなたの兄弟は復活する。—わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ11:25-26)このように、復活の主イエスさまは、今を生きる私達にも「このことを信じるか」と問いかけておられます。
https://youtu.be/GA0OMU-wSfE