2024年6月2日主日礼拝ダイジェスト

 

週報巻頭言

「旅立つアブラム」 藤井 秀一

6月の礼拝では、創世記のアブラハムの物語を通して、共にみ言葉に耳を傾けます。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教は「アブラハムの宗教」と呼ばれ、共通の信仰の先達としてアブラハムを大切にしています。ユダヤ教ではアブラハムはイスラエルの民の祖先であり、信仰の父とされています。彼は神との契約(アブラハム契約)を結び、その契約に基づいて彼とその子孫が選ばれた民として特別な使命を持ち、カナンの地が約束されました。

一方キリスト教では、アブラハムは信仰の模範とされ、特に新約聖書では「彼の信仰」が強調されます。使徒パウロは、アブラハムが「律法」に先立って「信仰」によって義とされたことを重視しています。またイスラム教においても、アブラハム(イブラヒム)は預言者の一人であり、ムスリムの模範とされています。彼は唯一神アッラーに完全に従う信仰の父として尊敬され、彼の息子イスマイル(イシュマエル)はアラブ民族の祖先とされます。毎年のハッジ巡礼では、アブラハムの信仰と従順を記念する儀式が行われます。

いずれの宗教も、創造主である神を信じ、神に喜ばれる生き方を重んじ、その信仰の源としてアブラハムを「信仰の父」として尊敬しています。ですから、パレスチナにおける紛争は宗教の争いではありません。中世のイスラム帝国でも、ユダヤ教徒は「啓典の民」として保護され、長い間共存してきました。共通の信仰の祖であるアブラハムに立ち返り、平和的な共存の道が開かれるようにと切に祈ります。

さて今日の礼拝で読まれる箇所は、アブラハムがまだアブラムと呼ばれていた時代、神の呼びかけに従い旅立った出来事です。アブラムは「故郷」「親族」「父の家」から離れ、神の導きに従って信仰の旅に出ました。この神の招きは、時を越えていつの時代の信仰者にも起こりうる招きです。私たちもイエス・キリストを通して神を「天の父」と呼び、信頼する信仰の旅に招かれた一人一人です。

アブラムは旅の途中で祭壇を築き、神に礼拝を捧げました。礼拝は神との出会いの場であり、信仰の旅に欠かせないものです。そして、神と人との平和の源である礼拝こそ、人と人との真の平和の源でもあるのです。

 

 

 

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