「混乱と不安の世に与えられた主の食卓」
藤井 秀一
先週からアメリカによるイランへの軍事行動のニュースが世界を駆け巡り、多くの方がこれからの行方に深い不安を覚えておられることと思います。様々な意見や情報が飛び交い、「何が正しいのか」と混乱を覚える日々です。力や暴力によって現状を変更しようとする動きを前に、私たちは心がざわつき、無力感に苛まれることもあります。
実は、約2000年前にイエス様が生きておられた社会も、同じような不安と混乱のただ中にありました。当時のユダヤの人々は、大国ローマ帝国の圧倒的な支配下で苦しみ、力と暴力によってでも、この理不尽な体制を打ち破ってくれる強いリーダーを熱望していました。社会には様々な思惑が渦巻き、人々は不安の中で「力」による解決を求めていたのです。
しかし、その力を求める社会のただ中で、この方こそ我々を救ってくれると期待されたイエスさまが選ばれた道は、力による対抗ではありませんでした。イエスさまは弟子たちを集め、「苦しみを受ける前に、どうしてもあなたたちと一緒にこの食事をしたかった」と、切なる願いをもって一つの食卓を開かれたのです。
世界が暴力の連鎖に揺れ、弟子たちの心にも迷いや恐れ、あるいは「自分たちの力」への執着が渦巻いていたまさにその夜。なぜ、イエス様はこれほどまでに、彼らと共にパンと杯を分かち合うことを望まれたのでしょうか?
本日の礼拝では、ルカによる福音書22章から、この「最後の晩餐」の場面に耳を傾けます。情報が氾濫し、力や争いの声が絶えない現代において、私たちが本当に立ち返るべき場所はどこなのか。心の重荷を一旦下ろし、今日はただ、主が備えてくださった恵みの食卓の意味を心に刻みたいと思います。






