私たちの教会では、月に一度「主の晩餐式」を守っています。その式の中で歌う新生讃美歌414「マラナタ」はカトリックの作曲家新垣壬敏(つぐとし)さんが1983年に作曲した歌です。「マラナ・タ」という言葉は新約聖書の『ヨハネの黙示録』にある、世の終りにキリストが再び来られ、神の国の完成することを希求する言葉です。
1 主の食卓を囲み 命のパンをいただき
救いの杯を飲み
主にあってわれらは一つ
マラナ・タ マラナ・タ
主のみ国が来ますように!
マラナ・タ マラナ・タ
主のみ国が来ますように!
福音書は、最後の晩餐の席で、主イエスを裏切る弟子をも含めた全員に「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である」とパンを分け、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」と杯をまわしたと告げます。
晩餐のあと、主イエスは捕えられ、弟子たちは逃げ去ります。弟子のユダは自らの罪の呵責に押しつぶされ、自ら命を絶ってしまいます。「主の食卓」を囲んだ弟子たちは、結局一つになれないままに、自らの罪のゆえに、無残にもバラバラになりました。
ところが今、約2000年の時を超え「主の食卓」つまり「主の晩餐」は、全世界の教会で行われ「主イエスにあって一つ」と歌う歌声は広がっています。ここに主イエスが死から復活し、今も神と人、人と人をつなぎ、神の国の完成へと導いておられる証を見ます。
そしてやがて終末において完成する神の国の祝宴では、かつて主イエスを裏切りバラバラに逃げ去った弟子たち全員が顔をそろえ「主にあってわれらは一つ」と歌っているはずです。それが実現する現場こそ「神の国」なのだから。
マラナ・タ 主よ来てください。