(「新共同訳 聖書辞典」より)
「ギリシャ語のペンテコステは第50の意味で、使徒言行録では五旬祭と訳されている。
元来はイスラエルの3大祭りの一つで、過越祭の第2日から数えて7週後、すなわち50日目に守られた。「借り入れの祭り」「七週祭」とも呼ばれて、小麦の収穫感謝祭であった。
後にユダヤ教では、この日をシナイ山で十戒が授与された日として再解釈し、律法を感謝する日となった。
キリスト教会はキリストの復活(過越祭と同じ時期)から50日目に聖霊が降った日として、聖霊降臨を記念するようになった(使徒言行録2章)。
このように元来農耕的祭儀であったものが、ユダヤ教に摂取され、さらにキリスト教的に理解されるようになって、今日にいたっている」
・・・さて「教会」にとってペンテコステは、もはや「小麦の収穫感謝」や「律法を感謝する日」ではなく「聖霊」が弟子たちの上に降った重要な出来事を思い起こす時となりました。使徒言行録の「聖霊降臨」の物語を読むたびに、私たちは「教会」が人の力や計画ではなく、神によってなった集まりであるという原点に立ち返らされて、「教会」に秘められた可能性への希望が、新たにされていくのです。