今年の教会のテーマは、「主にあって互いに語り祈り合おう」。そして10月の聖句は「すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」です。
またパウロは「絶えず祈りなさい」(1テサロニケ5:17)とも勧めます。
さてこの「根気よく祈る」とか「絶えず祈る」と聞いたとき、わたしたちはこれをどのようにイメージするでしょうか。
それは、長いマラソンを走りぬき、険しい山を登るための、訓練や修行のようなイメージでしょうか。もしそうであるなら、いったいどれほどの人が、「根気よく」「絶えず」祈り続けることができるのでしょう。
「祈り」。それはむしろ「呼吸」に似ています。わたしたちは生きるために、絶えず呼吸をしていながら、疲れ果ててしまうことはありません。
「祈り」。それは愛する人と過ごす時間に似ています。会話があろうとなかろうと、愛する人と共に過ごしているときに、疲れ果ててしまうことはないのです。
「根気よく祈る」、「絶えず祈る」というイメージを、自分を打ちたたく修行のようなイメージから、「いのちにとって自然のこと」「愛する方との至福の時」というイメージへと変えるなら、
新たなる「祈りの世界」が開かれていくことでしょう。