「来たるべきAI時代に求められるもの」 牧師 藤井秀一
AI(人工知能技術)の到来によって、今、人間がしている仕事のいくつかが、AIにとって代わられるようになるでしょう。
しかし、それはむしろ、AIにできる仕事を、人はしなくてもよくなったということです。
産業革命のときには、人間の「肉体能力」が機械に置き換えられることで、結果的に、一定数の肉体労働者は仕事を失いました。
でも、多くの人は過酷な重労働から解放され、生活は豊になりました。
次の情報革命、AI技術によって人間の「知的能力」が機械に置き換えられることになります。
単純作業やルーティンワーク的な管理業務、情報処理の仕事などを中心に、人間がしていることが機械に取って代わられるようになるでしょう。
しかし、それは人間にとって脅威ではなく、次の豊かさへ向かうプロセスなのです。
人はAIと競争する必要はありません。車とかけっこで競争する人はいないでしょう。
記憶力や情報処理能力で人はAIに勝てるわけがありません。勝たなくてもいいのです。
むしろAIにはできない人間独自の領域をこそ、今後さらに豊かにしていくようになるでしょう。
AIには無理な、創造性、精神性、宗教性、芸術性などの領域です。
AIに生きる意味などは分かりません。そもそもAIには「意味」さえ認識できません。
所詮AIは計算機なのです。膨大な知識から最適解を出力することしかできません。
将棋でどうやったら勝てるのかという合理的な計算と情報処理には長けていても、
たとえば子どもに対して「ここはこの子の成長のために、ここらで負けてあげよう」などという不合理な判断を、AIは逆立ちしてもできないのです。
「不合理」だけれども、人間にとっては「価値がある」「意味がある」こと。
人にしか理解も表現もできない、精神性、宗教性のような領域が、AIの発達のおかげで、むしろ今まで以上に大切にされ、その「価値」が見出されていくことでしょう。