神との平和

「神との平和」(2021年8月1日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)
8月の礼拝では毎週「平和」をテーマにみ言葉に聴いていきます。
今日の礼拝のテーマは「神との平和」です。使徒パウロのこの言葉が中心となります。
「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光に預かる希望を誇りにしています」(ロ‐マ5:1-2)
『わたしたちは「神との間に平和を得て」いるのです』と、主イエスによって実現したこの「神との平和」のありがたみを深く感じ取るためには、逆説的ですが、主イエスの時代から約600年前に、神の怒りと裁きが現実となった、イスラエルの民のバビロン捕囚の出来事と、そこにおいて、主が預言者エゼキエルを通して語られた言葉を知ることが、大切なことでしょう。(8月から教会学校でエゼキエル書を学びます)
自らもバビロンに連れていかれた祭司エゼキエルに、主はこう言われました。
「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。彼らは、その先祖たちと同様わたしに背いて、今日この日に至っている」(2:3)と。
神は罪を見過ごすことなく、怒り裁きを行われる。それがバビロン捕囚でありました。さて、このような聖なる神の前に、罪あるわたしたちは、本当に安心して立つことなどできるのでしょうか?
罪の糾弾と悔い改めにいざなうことから始まるエゼキエル書は、その後半においては、やがて実現する「神との平和」を語り始めていきます。
「・・・彼らすべての者のために、ひとりの牧者が立つ。彼らはわがおきてに歩み、わが定めを守って行う。・・わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らの永遠の契約となる。わたしは彼らを祝福し、彼らをふやし、わが聖所を永遠に彼らの中に置く。わがすみかは彼らと共にあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわが民となる。」(エゼキエル37:24-)
私たちの罪の裁きを負い、十字架に死なれ、三日目に復活し、永遠に共にいてくださる主イエスこそ、この「神との平和」を実現する「ひとりの牧者」であるのです。

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