キリストは私たちの平和

2021年8月15日 週報巻頭言
「平和」、その意味のギャップ   中根 淨
◆ふつうの「平和」
ふつう、「平和」の言葉は、身近なことにもめごとや対立などがなく、穏やかで落ち着いていることを意味しています。また、「戦争」に対する「平和」が使われます。それは、戦争や暴力で社会が乱れていない状態のことを表しています。そこで、戦争が起こらないようにするためには、貧富の差を亡くそう。人種や考え方の違いの偏見や差別を無くそう。さらには、武力のバランスを保とうなどと考えています。それらは社会的な平和を維持するための取組みです。でも、いつだれが私との仲違いや、また国の「敵」となるかもしれないと身構えていなければなりません。
◆「キリストの平和」
しかし、聖書は私たちに「キリストはわたしたちの平和」であると伝えます。私たちが「敵」とする相手のことより、まず「敵意」を生んでしまう自分の側の問題を知らせています。人が人を無視したり差別したりする思い、つまり「罪」をまず解決しなければならないのです。この「罪」は、自分でもまた他人がどうすることもできないものです。そもそも人が神から離れてしまったから、全てが狂ってしまったのです。その「罪」は、神から赦されなければならないのです。まず、人は神との関係を回復して、「罪」を赦していただかなければならないのです。その解決の唯一の道は、神が人におくられた御子イエス・キリストによる、私たちの罪の赦しのための十字架なのです。イエスは十字架上で、「神よ、彼らをお赦しください」と言い、神と人との和解のため、贖いの犠牲となってくださったのです。人の「敵意」をイエスの十字架にクギづけにしてくださったのです。私たちは、イエス・キリストの十字架によって、神の赦しを得た罪人どうしとして、互いに違いを認め合い、赦し合って生きることが、神から望まれていることなのです。人と人との「平和」は、神と人との「平和」と表裏一体なのです。
『実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。』(エフェソ2:14-16)

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