「終末の希望と賛美」(2020年7月19日週報巻頭言)
キリスト教の特徴的な信仰は、時間は繰り返さず、歴史には始まりがあり、終わりがあると信じるところにあります。
新約聖書は、イエス・キリストの生と死、そして復活において、この世界の歴史に新しいことが起こったことを証しています。それは死と滅びからの救い「神の国」の到来の希望の信仰です。
パウロは時の終わりに、審判のために将来イエス・キリストが到来することを待望しています。主イエスの到来が、わたしたちの新しい命と罪と死に対する勝利を確証するからです。そのイメージとして「主の日」「マラナタ」(アラム語で主よ来てくださいという意味)という表現がなされます。
つまり、「神の国」は主イエスの到来によって始まり、人間の歴史のなかに影響を与え始め、再び主イエスが来られる再臨の日に、完成する。わたしたちは、その時のはざまに生きています。
その歴史の終わりがいつ到来しようと、巡礼者の共同体である教会の信仰と生活は、復活の希望によって照らされています。その意味で、本日の礼拝で読まれる、黙示録が告げる天上の礼拝の壮大なる風景は、苦難の時代を生きぬく信仰者を照らす、「神の国」の希望の光として、今を生きる、わたしたちの心を励まし、勇気づけてくれます。
今、世界はかつてない災害、疫病、飢餓、戦争のうわさなどと、終末的な様相を呈しているようにみえますが、このような苦難は、歴史において何度も繰り返されてきたのであり、いつ終末がやってくるのかは、人間はだれも知ることはできません。それは個人の終末についても同様だとおもいます。
しかしその時は必ず来ます。それは救いの時であり、すべての者が主イエスに「賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくありますように」と賛美を捧げる日なのです。
https://youtu.be/JApEpKCW_G0