どのような時でも賛美を歌う

「賛美歌を歌う意味」                                                    牧師 藤井秀一

7月は「信仰生活を考える月間」です。今年は特に「賛美」について、4週にわたってみ言葉に聴き、互いに証を分かち合い、最終週には江原美歌子先生から「賛美」をテーマに研修の時を持つ豊かな月間となっています。

ところで改めて「賛美歌」とは何でしょう?古代の神学者アウグスティヌスはこう定義します。

 

「賛美歌とは歌うことによる神への賛美である。賛美歌は神への賛美を表現する歌である。賛美であっても、神への賛美でなければ賛美歌ではない。賛美で、しかも神への賛美であっても、歌われなければ賛美歌ではない。従って賛美歌であるためには、三つの事柄、「賛美」「神への賛美」「歌われること」が必要なのである」

 

さてアウグスティヌスは、昨今のような、集まって歌うことが難しいという状況を想定してはいなかったでしょう。ゆえに、わたしたちはコロナ時代における「賛美歌」について新たに考える必要があるのかもしれません。たとえば、礼拝の配信を見ながら、声を合わせて歌うことも、また状況的に歌うことができなくても、心の中で歌詞の言葉に心を合わせることも「共に賛美歌を歌う」経験であるという、「賛美歌」理解を深めたいと思うのです。そもそもこのコロナの状況以前から、体の弱さゆえに「口で歌う」ことができない方も、「心で神に賛美を歌ってきた」方々は、たくさんおられたわけですから。

 

また、口であれ、心であれ、神に歌われる「賛美歌」は、人が神に語りかける歌という意味で「祈り」といえます。つまり「賛美歌」とは「歌われる祈り」なのです。

実際、詩編では、神をほめたたえる歌だけではなく、「感謝」「願い」「罪の告白」「とりなし」「嘆き」「訴え」「問いかけ」あらゆる言葉をもって「神に祈る歌」が歌われます。

 

さて「賛美」と「祈り」が同じものなら、なぜ教会は「祈りをとなえる」のに加え、音楽にあわせて「祈りを歌って」きたのでしょう? おそらくその第一の理由は「共に祈る」ためです。「共同体」はいつの時代も共に歌う「歌」を求めます。二つ目の理由は「いつでも祈る」ためです。心疲れた時、離別の悲しみや失望の時、たとえ祈りの言葉が出てこないとしても、「賛美」「祈り」を歌い、また誰かの「賛美」「歌われた祈り」を聴くことで、どのようなときでも祈れるようにと、神は「賛美歌」を与えてくださったのだと思うのです。

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