2023年3月19日主日礼拝ダイジェスト

「怒りと悲しみ」(週報巻頭言)
レント(受難節)を覚え、3月の礼拝では、わたしたちの罪のために十字架につけら
れ、死んでいかれる主イエスのお姿を、マタイの福音書の言葉を通して見つめ続けてい
ます。
今日読まれる26章57節以下の箇所は、とらえられた主イエスを、当時のユダヤ教の指
導者たち(大祭司、祭司長、最高法院)が、死刑にしたくて、偽証人を用意した不正裁
判の様子と、その緊急裁判が行われた大祭司の中庭で、事の成り行きを見つめていた弟
子のペトロが、その場にいた女中から「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と問
い詰められ、「そんな人は知らない」と3度も否認してしまった出来事になります。
この「最高法院での裁判」と「ペトロの否認」の出来事は、メッセージにおいては、
別々に語られることが多いと思います。私自身もそのようにこの箇所を、二つの事柄に
わけて読んできました。
しかし今回あらためてよく読んでみると、この偽証人を立てて裁判を行い、結果死刑
判決を下し、最高法院の人々が「罪の怒り」に満ちてイエスの顔を殴ったと告げるこの
出来事を、ペトロは「事の成り行きを見ようと、(庭の)中に入って下役たちと一緒に
座って」目撃していたのです。ゆえにこの主への罪の様子を、詳細に彼は証言できたの
でしょう。しかし、その罪の目撃者である彼自身もまた、その直後に「そんな人は知ら
ない」と主への愛を裏切っていく「罪の悲しみ」を告白していった。その意味で、この
罪の「怒りと悲しみ」は一つの罪の出来事として、わたしはイメージしたのです。
さて、先日冤罪が疑われている「袴田事件」の第二次再審開始を、一旦は取り消した
東京高裁は、3月13日静岡地裁の再審開始決定を認めたことがニュースになりました。
また、3月10日公開された映画「Winny」は、約20年前に公開された、ファイル共有ソ
フト「Winny」が悪用できるという理由で、「開発者」である金子さんが逮捕され裁か
れた、今からいえば、不当逮捕と裁判を扱う映画です。(判決は無罪となるが、本人は
心労のため死亡)
このような強者による罪のにおいがする、「怒り」を感じる出来事を知り、あるいは
目撃させられるとき、しかし同時に、忘れてしまわないように気をつけたいと思うので
す。ペトロが流した、ほかでもない自分の罪に「悲しむ」あの涙を。

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