「共同体の中での祈り」(2021年9月26日 週報巻頭言 牧師 藤井 秀一)
アメリカ、デューク大学神学部長のグレック・ジョーンズ氏と、ルワンダの大虐殺を経験し、アフリカにおけるリーダーシップと和解のミニストリーを立ち上げた、セレスティン・ムセクラ氏の共著「赦されたものとして赦す」の中から、ジョーンズ氏の赦しと祈りについてのエピソードを以下にご紹介します。
「数年前、赦しに関する私の授業を受講した女性がいました。 彼女はレイプの被害者であり 裁判の最中でした 間違いなく心がさらに傷ついてしまうと思い、私は彼女に授業を取るのを少し待ってはいかがですかと提案しました。しかしそれでも彼女は授業を取らせてくださいと言いました。敵を愛することに関しての講義の後で、彼女は私の研究室に来られました。「敵を愛することはよいことだと思いますし、イエス様がそういったことも知っています」。そして彼女は私に言いました。「それでも私はあの男に地獄で朽ち果ててほしいのです」私は彼女の気持ちがわかりました。・・・
私はこう質問しました。「あなたに代わって彼のために祈らせてくれませんか?」長い沈黙がありました。そして彼女は答えました。「そうですね・・・わかりました」。
2、3ヶ月が経ちました。ある日彼女がキャンパスで声をかけてきました。「彼のために祈っておられますか?」私は「祈っています」と答えました。彼女は「わかりました」と言いました。
6ヶ月が経ち、彼女は私の研究室に来ました 。「まだ祈っておられますか?」私は「祈っています」と答えました。すると彼女は「私もです」と答えたのです。私は彼女にどのようなことを祈っているのかと尋ねました。彼女は「わかりませんただ彼の名前を呼んでいます」と答えました。
2年後、彼女は私に手紙をくれました。彼女はまだ彼の名前を呼ぶことしかできないと言いました。「でも」と彼女は付け加えました。「先生がまだ彼のために祈っていることを願っています」。彼女の怒りと苦しみはまだとても深く、彼女はそれから目を逸らそうとはしていませんでした。しかしクリスチャンとして彼女はそれを克服しようと、共同体の中での祈りの実践をし始めたのです。とても長い時間がかかるかもしれません。しかし私たちは、・・・支えてくれるのは神の力であると信じています。キリストが復活されたのであれば死は打ち破られたのです。私たちの最も深い憎しみさえも愛へと変えられ得るのです」
主イエスは「わたしたちの負い目を赦して下さい、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように」と教えられました。それは共に祈りつづける共同体のなかにおいてこそ、人は神によって変化、成長させられるからではないかと、私は思うのです。
https://youtu.be/SsvXNhb9Yr8