私は今年八十歳になりました。
春に救急車で運ばれる程のケガをして通っていた教会に行くのが 難しくなり今度 御教会に転会させて頂きたくお願いをいたしました。
御教会にはいままでにも音楽会に何回か誘っていただいて伺っ たこと がありますので、親しい気持ちを持っておりました。
次のイースター には受洗 六十年を迎えます。ふりかえってみる と 、受洗後 六十年 の 間にはさまざまな出来事がありましたが、恵まれ た人生を歩んで来ること ができたという想いです 。
皆さまは、 「主 我を愛す」 という讃美歌をご存知と思いますが、その 讃美歌に寄せてお話しさせて頂きたいとおもいます。
私は終戦後間もない頃、目黒のルーテル教会の日曜学校でこの歌を習いまし た 。
日本語 で 歌った あと 宣教師 が 口移し に 「 ジーザス ラスミー ジッサイノー 」 と 英語で教えて下さいました 私は高校生に なってそれが 「イエスは私を愛して下さる、この事を私は知っている 」とわかりましたが、それまでは掃除をしながら自転車 に乗りながら 、歌っていまし た 。
しかし高校に入る頃には生意気盛りで 、自分の望むことは何でも適えられると思うようになり、教会に行かなくなりまし た 。
生意気になった私はその後、何代 ものクリスチャンの家庭 に育った 小さい時 からの仲良しの友達に 、奇跡 なんて信じられないなどとキリスト教を攻撃するような言動をとっていまし た 。
けれど彼女 は 私 をやっつける こと も 責めること もせず「神さま におできにならないことはない 」 とはっきりいいました。そうゆう彼女を 、ひそかに羨ましいと思ったこと を覚えています 。
そうした 私が二十歳の頃その彼女に頼んで、その頃住んでいた京都の北白川教会へ 紹介して もらって通い始めたのですから 、 本当に不思議 です 。
その とき 私 は 保育園 に 勤める保母 でし た 。 その頃の保育園 は 、夜七時まで預かっていましたし、 土曜日も休みではありませんでしたが 、 私は電車を乗り継いで 一時間 、 ほとんど休ま ず に 礼拝 に通い 一年半後 洗礼を受けさせて下さいと牧師にお願い しまし た 。
その後の生活において イエス · キリスト からの恵みに満ちた招きは 、 その 時 だけでなく 、ずっとずっとその幸いを受け続けて現在に至っ ています 。
身体 はよれよれになりましたが「 来よ」と神さまのお招きの時 まで 、 イエス · キリスト に 従って元気 に生きていきたいと思ってい ますので 、 よろしく お願いいたし ます 。
2017.12.24 礼拝式 にて