「イエスの名によって、自分らしく」(2017年7月2日週報巻頭言 牧師 藤井秀一)     

「私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる
私はなにもあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけではない。

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

私は私。あなたはあなた。

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ」

(ゲシュタルト療法の創始者 フレデリックパールズの祈り)

相手が自分のことをわかってくれなくても、反対に相手のことをわってあげられなくてもしかたない。みんな互いの期待に応えるために生きているのではないのだからと語るこの詩は、心を解放してくれます。

人はただこの世に存在しているだけで、神に愛された価値ある「いのち」であると、主イエスは教えて下さり、ご自分の命を十字架に捧げられて、その愛を示してくださいました。

さて、ユダヤの神殿の「美しの門」の前に、毎日、物のように運ばれ、物乞いをしていた足の不自由な男性に、ペトロとヤコブはこう言います。

「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と。そして彼は立ち上がり歩き出したのです。

これは、足が癒されたからだけではないでしょう。自分に価値はないと、人生をあきらめ座り込んでいた彼が立ち上がり、自分らしく人生を歩みだしたのです。

イエス・キリストの名によって立ち、歩くとは、そういうことです

関連記事

  1. 「よく見えるようになって」(2015年8月23日週報巻頭言 …

  2. 「愛には恐れがないとは」(2019年3月3日週報巻頭言 牧師…

  3. 「アドベントとアドベンチャー」(11月27日週報巻頭言 牧師…

  4. 2024年1月21日主日礼拝ダイジェスト

  5. 救い主 イエス・キリストのご降誕を、心から感謝いたします(2…

  6. 「今も生きて働く神の言葉」(2017年10月8日週報巻頭言 …