「私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる
私はなにもあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけではない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ」
(ゲシュタルト療法の創始者 フレデリックパールズの祈り)
相手が自分のことをわかってくれなくても、反対に相手のことをわってあげられなくてもしかたない。みんな互いの期待に応えるために生きているのではないのだからと語るこの詩は、心を解放してくれます。
人はただこの世に存在しているだけで、神に愛された価値ある「いのち」であると、主イエスは教えて下さり、ご自分の命を十字架に捧げられて、その愛を示してくださいました。
さて、ユダヤの神殿の「美しの門」の前に、毎日、物のように運ばれ、物乞いをしていた足の不自由な男性に、ペトロとヤコブはこう言います。
「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と。そして彼は立ち上がり歩き出したのです。
これは、足が癒されたからだけではないでしょう。自分に価値はないと、人生をあきらめ座り込んでいた彼が立ち上がり、自分らしく人生を歩みだしたのです。
イエス・キリストの名によって立ち、歩くとは、そういうことです